【西武】松坂大輔が引退試合、最速は118キロ 甲子園春夏連覇の‘‘平成の怪物‘‘
◇パ・リーグ 西武─日本ハム(2021年10月19日 メットライフD)
今季限りで現役を引退する西武の松坂大輔投手(41)が19日の日本ハム戦(メットライフドーム)に先発登板。日米通算377試合目の引退登板で、横浜高の後輩でもある日本ハム・近藤健介外野手(28)と対戦した。
松坂は近藤に一礼してマウンドに上がった。日本ハム、西武のベンチ、そしてメットライフドームの観客も総立ちで見守る中、投じた第1球は118キロ。2球目にストライクを投じたが、その後は球が抜け、カウント3ボール1ストライクから大きな拍手の中で投じた最後の1球は、内角に大きく外れた。
投球を終えた松坂は、日本ハムベンチに向かって、「ありがとうございました」と一礼。万雷の拍手を受けながら、ベンチへ下がった。晴れやかな表情で、会見で見せたような涙はなかった。
試合前の会見で「本当は投げたくなかった。今の状態もあるし、どこまで投げられるか。もうこれ以上、駄目な姿を見せたくない。と思ってたんですけど、最後ユニホーム姿でマウンドに立つ松坂大輔を見たいと言ってくれる方々がいたので、どうしようもない姿かもしれないですけど、最後の最後、全部さらけだして見てもらおうと思いました」と話した松坂。その覚悟をボールに込めた。
右手中指の感覚は今もない。「ボタンを締めるのにも苦労している」と話す。その中でも、キャッチボールを重ね、17日にブルペン入り。18日に1軍合流した。スポニチ本紙の取材に「トップの位置から投げ下ろす時に、感覚がフッと消える」と打ち明けるほどだ。だが、中日時代にお世話になった治療院でメンテナンスを行い、肩や肘に痛み止めの注射を打ってまで、マウンドに立った。
1998年、横浜高時代の甲子園で春夏連覇を達成。夏の甲子園の準々決勝のPL学園戦で250球を投げ、決勝の京都成章戦でノーヒットノーランを達成した。西武入団後は、イチロー(当時オリックス)との初対戦で3者連続三振に斬り「自信から確信に変わった」と名フレーズを残した。「平成の怪物」、そして1980年度生まれの選手は「松坂世代」と呼ばれた。レッドソックスへ移籍した際のポスティングは当時日本円で約60億円。日本投手への概念を覆す驚きの額だった。日本代表のエースとして連覇を果たした2006年、2009年のWBCでは2大会連続MVPとなった。四半世紀の間、球界の中心に松坂がいた。
「ボロボロになるまで大好きな野球をやりたい」──。その思いを貫いた。すべての人に感謝の思いを込めた最後の登板。「今日という日がきてほしいような、きてほしくなかったような、そんな思いがあったんですけど、投げてそこで自分の気持ちもすっきりするのかな、すっきりしてほしいと思います」と話していたが、球場の視線を一身に集めた「平成の怪物」は、やり切った表情で、ファンに帽子をとり、手を振った。
▼松坂 最初、グラウンドに出た瞬間のファンの皆さんの拍手に感動しました。正直、プロのマウンドに立っていい状態ではなかったですが、最後の相手になってくれた、北海道日本ハムファイターズの皆さん、打席に立ってくれた近藤選手、そして今日球場までお越しいただいたファンの皆さん、球場には来れなくてもテレビなどで応援してくれたファンの方々に感謝しています。
◇松坂 大輔(まつざか・だいすけ)1980年(昭55)9月13日生まれ、東京都出身の41歳。横浜では3年時に甲子園春夏連覇。98年ドラフト1位で西武入団。1年目に16勝で新人王、最多勝に輝いた。07年にレッドソックスに移籍し、同年にワールドシリーズ制覇。インディアンス、メッツを経て、15年にソフトバンクで日本球界復帰。18年に中日に移籍し、20年に西武に復帰した。日米通算170勝108敗2セーブ。1メートル82、92キロ。右投げ右打ち。
参照元:https://news.yahoo.co.jp/articles/ae219b730d4c915defa0c4ce59a1e0bf7c00b4bb
ネットの声
1年目から、タイトル総ナメで、日本では西武を日本一に導き、メジャーではレッズソックスで2桁勝って、ワールドチャンピオンに貢献。
その間、オリンピック等の国際大会でも日本のエースとして、活躍して、
WBCでは、二大会連続世界一&MVP。
十分過ぎるだろ。
良い時とドン底を同じくらい経験したと語ったあたり、晩年は本人が1番辛い思いしたのかも。
ホントに野球ファンを楽しませてもらいました。
松坂ありがとう。
お疲れ様でした!!!
多分本人も言ってたみたいに本当は投げるのも恐かったろうし、投げたくなかったんだろうな。でもこの姿をファンに見せて納得してもらうのが自分の最後の仕事だと思ったんだろうな。
最後まで格好良かったです。ライオンズに来てくれてありがとうございました。
松坂を見て野球を始めました!
横浜対PLの甲子園あれがなければ野球を始めてなかったでしょう!
憧れのピッチャーはすることなかったですが、それでも松坂みたいなピッチャーを受ける目標を持ってキャッチャーとして野球を続けました!
独特なワインドアップモーションから左手を目一杯使って投げ下ろす投球は大谷よりも、マーくんよりもかっこよかったです!
色んな批判、意見がありますが、俺は松坂大輔は日本の宝だと思います!
これからも松坂大輔を目標として少年が野球を始めて、野球の楽しさを知ってくれたらいいなと思います!
ありがとう松坂大輔!!
頑張ろう!プロ野球!!!
とても投げられる状態ではないのだろうと素人目にも感じた。
それでも今の状態をファンに見てもらいたいとマウンドに上がった。
それで十分だよ。
輝かしい記録と記憶が決して色褪せることはない。
高校3年の夏甲子園準々決勝の延長17回250球完投
決勝でのノーノー
あそこから彼の素晴らしい怪物伝説が始まったと思う。
本当に素晴らしい投手だった。
最後投げてくれて本当にありがとう。お疲れさまでした。
それでも今日の松坂のピッチング、最高にカッコ良かった。
高校時代から今日まで、本当に楽しませてもらいました。お疲れ様でした。
負けていて7回あたりに松坂が投手へ。そうしたらチームが「大輔が投げる試合で負けたらダメだ」みたいに明らかに雰囲気が変わり逆転!
確か神ががった凄いファインプレーや相手の凡ミスなんかも出てたような気がする。
1人の選手でこんなにも試合が変わるんだぁって感動したのを覚えてる。
で、もう最後だって感じで、全力出して決勝でノーノー。って凄くない?
プロになってからではなく、横浜高校で甲子園に出場した時、PL戦、決勝のノーノーではなく、準決勝の明徳戦でテーピング剥がしてマウンドに向かう松坂!
女子校だったけど、甲子園は全試合みて、横浜高校春夏連覇の時はすごかった。
PL学園の延長試合、明徳、そして決勝でのノーヒットノーラン等高校時代がやっぱり一番鮮明に覚えています。
同い年で、こんなにすごい子がいるんだ!!って、夏休み明けの学校でキャアキャア言ってたのを覚えています(同級生に松坂と同じ中学の子がいた)いつまでも、頑張ってほしいと思っていたけれど、気づけば自分と同じ41歳。
疲れやすくなったり、身体と心が追い付かなかったり、素人でさえそうなんだから、
スポーツ選手としての彼の辛さは比べ物にならないと思います。
本当にお疲れ様でした。
ゆっくり休んでください。
自分は平凡な人間だが、いずれ、同じように最後が来るんだろうなと、
そんなことを思いました。
人生の輝く時期と、そうでないとき。
大スターでもやはりそういう道は通るのだなと。
まぁ自分はさほど輝いた時期もありませんが。。
こういうシーンもスポーツの大事な場面のひとつと思いますね。
晩年、そして今日のピッチングをVTRで見ましたが、これは厳しいんじゃないかなぁと思いました。200勝まであと30勝。怪我さえなければと思うと、心残りではないでしょうか。
それでも、イチローさんとの名勝負、甲子園での凱旋登板、アメリカでの大活躍。ワールドベースボールクラシックの連覇。感動しました。松坂さんがいたから、球児さんや杉内さん、和田投手らがプロでも切磋琢磨できたんだと思います。第2の人生、幸あれ。本当にありがとうございました。ゆっくり休んでください。
松坂投手が打者1巡だけ投げてくれた。
きっと大人の事情が絡んでいたと思う。
それでも150km/h連発。さらに鬼の様なスライダーを織り交ぜながら。
打者9人をパーフェクトに抑えられました。
その松坂投手が118km/h。私は100km/hを切ります。
松坂投手、お疲れ様でした。
やはりどんな大投手でも晩年はこんな投球になるんだと
寂しい気持ちになってしまった。しかし彼の残した記録の数数は球史に残るものばかり。本当にご苦労さんでした。
太く短い野球人生を全うした鉄人と思うよ。
名球会には入れないが、違った形での貢献は200勝以上の価値があったと思う。これからの幸福を願うばかりだ。
数々の名勝負を繰り広げてきたことだけに,一場面一場面が忘れられません。甲子園での春夏連覇,特に夏の甲子園でのベスト8のPL学園戦の延長17回の死闘、決勝のノーヒットノーランで優勝、プロ野球に入団して,高卒で新人王、
WBCは2大会連続MVP,MLBでの活躍、怪我で苦しんでいる時もあったけど、中日ドラゴンズ1年目のシーズンでカムバック賞獲得,また怪我で終わってしまったが、記録,記憶に残る名選手でした。
本当にお疲れ様でした。
甲子園優勝ピッチャーで200勝いった選手って、これだけの歴史上2人しかいない。
しかもかなり昔の選手。
10代に肩肘を酷使する事の危険性をもっと一般に知って欲しい。メジャーは高卒選手は使わない。ほぼ必ず1Aからのスタートで、早くても22才からメジャーって形がほとんどでしょ。
甲子園の輝きは一生ものの価値があるけど、本人の将来を考えればそれを許しちゃいけない。
つい先日引退した斉藤もそうだけど、どれだけ甲子園ってのが才能ある選手を潰してきたか、冷静に考えるべきだと思う。
WBCを経て、地域密着も進んでコンスタントに観客が入るようになって、パ・リーグ各球団に指名されたアマチュア選手は軒並み笑顔で入団を表明する時代になったことを思うと感慨深い。1つのチームのエースじゃなくて、時代が変わりかけた頃のパ・リーグを背負ったエース。癪なまでに強かったなぁ。
同じ学年の、横浜高校の子が、全国大会でこんなにすごいことをしている、それだけでものすごい刺激を受け、勉強も何もかも頑張れました。
今日の登板をCS生中継で見ました。1つ1つの動作を、最後なのだと目に焼き付けるように見ていましたが、あの1球だけ入ったストライクで涙腺崩壊してしまいました。
松坂くんが県大会や甲子園で打ったたくさんのホームラン、全力の走塁、延長18回どれだけ打ち走り投げても終わらない試合の最後の瞬間の大きなため息、準決勝ラストイニングでテーピングを外した時のうねりのような大歓声。
全てが思い出されて、あんなに特別な高校3年生の夏を、同じ学年で過ごせたことを誇りに思います。
ありがとう、松坂くん。お疲れさまでした。
報道ステーションでメジャーのニュースで出て、甲子園番組で決勝限定で。そうなるとテレビ朝日のみになるから、妻の日テレで巨人中日限定で解説。NHKで西武戦の解説。それだけで充分。あとは家で家族とゆっくり。
西武ファンからしたら、来年松井監督から投手コーチをと期待していたけど、それは無さそう。正直、ソフトバンクから選手契約解除のときに、人の気持ちが分からない鈴木葉本部長にむげに扱われたから、松坂も本心では今の西武にめちゃくちゃ感謝してはいないだろうから仕方がない。
多分、日の丸の監督をするのが現場での唯一の仕事になりそう。
最後に、松坂本人が喜んだと思うけど、昨日の引退試合は、本人が着たいと言っていた70周年ユニフォームで、サードに中村をつけて欲しかった。現地で応援していて非常に残念だった
相手側の監督からは「このピッチャーの球は今の高校生には打てん。」と言わしめた大物。
いろいろなバッシングも受けたから大変な時期もあっただろう。
これからは家族の時間を持つとともに、たまにはテレビで野球談議などしてくれないかな。
オファーはあるだろう
末端でスポーツをする私でさえ、ケガや、加齢で思う様にプレー出来ないと、苛立ち、落ち込む。
超一流の松坂選手ともなれば、どれ程辛かったか想像がつく。
それでも、野球が好きで、好きで、野球小僧の心を持ち続け、今日迄現役を貫いた松坂選手は、誰が何と言おうが、最高に格好良い。
マスコミおよび球団の対応は、どこかおかしいのでは。現役選手はどのような見方をしているのでしょうか。
松坂は、晩節を汚したいい例ではないでしょうか。すべてが金だということがわかるのではないでしょうか。
立浪さんがワンツースリーでホームラン打ったのも記憶に残ってます。
力強い豪速球が魅力的だった。
引き際については本人の美学の問題だから言う事は無い。
ボロボロになるまで頑張り抜いた松坂も素晴らしいし、30本ホームラン打ちながら引退した王貞治も素晴らしい。
しかし!
何度もPLにリードされ、延長でも何度もリードされ、それでもね、追いつくんですよ。
私は関西人なのでPLファンだった。けど、必ず追いつかれて、延長戦17回まで行く。負けないというよりも、打線が必ず彼に負けをつけさせない、あの、チームの根性というか彼に捧げるチームの意志。
そして彼に勝ち星をつけるだけの結束力。
そして、あんだけの力投で、負けないだけの粘りが、最後に勝利を導いた。
私は、PLを応援してたけど、何故か、たとえ延長戦でリードしていたとしても、勝てる気がしなかった。ほんまに。それが、松坂の凄さやと思う。
ほんまに負けが似合わない。
松坂さん、あなたは勝ち星を上げれる最高のピッチャーでした。
お疲れ様!!
野球は普段あまり見ません
でも松坂選手の甲子園の伝説はテレビで何度も見てその度に感動で鳥肌モノです
当時の甲子園の激闘も、家族とすごいことになっていると言いながら生中継を見ていた記憶があります
おつかれさまでした
〇〇世代はこの頃から本格的に言われるようになった気がする。
もちろん松坂と全く面識もないし関係もないのだが、松坂世代ってことが少し誇らしかった。
話のネタにもなるし、同じ松坂世代の方とは何となく通じ合えたというか。
この松坂世代は好選手がかなり多かったのに、記録を作った選手がいないのが不思議でした。
特に投手には人材が豊富だったのにな。
その中でもやはり松坂はすごかった。
高校時代は特に別格だったと思う。
春夏連覇のエースといえば島袋や藤浪は苦しんだけども松坂はルーキーイヤーから圧巻だった。
松坂が引退して、世代最後の生き残りとなった和田にはできるだけ頑張ってほしい。我々世代の最後の火を灯しているんだし。
その姿(マウンド後方から思いっきり投げ込む姿)は当時とても印象に残っていたので、本当に無理できない状態だったんだなぁと感じました。
SoftBankでほとんど投げていないのに、きっちり給料だけもらい、今度は中日で少し投げただけ。
正直、往生際が悪すぎ、もっと若手にチャンスをあげた方が良かったと思う。
もっと若手に引退してほしかった。
最後は困惑するほどの球速だったけど、今の精一杯の投球だと思うとただただ泣けた。
人って鍛え上げても怪我ひとつでプロの世界でもこうも衰えてしまうのかと思うと色んな思いが込み上げできた。
最後の何年は色々言われましたけど、心の底から本当にお疲れ様でした。と言いたい。
自分は松坂選手より歳上ですが、野球を、投手を経験した一人として最高の選手です。
イチローみたいに引退決めても鍛え続けて納得するプレーを見せるか、いっそ投げないか、どちらかにすれば良いのに。
無理して投げる姿は痛々しくてファンは見たくないでしよ。
大リーグの使用球は滑るから投げる時に指に変な力が必要なので肘、肩を壊すのでしょうか。
最近だけでも、藤川球児、田中将大、ダルビッシュ、前田健太、大谷翔平など日本でも名だたる
投手が怪我を負っている。
鷹党だった自分はいつも血が出るくらい歯軋りしながらテレビを見てた。
脳裏に焼き付いてるのはやはり99年9月8日。
秋山の顔面にデッドボールを当てた後の1アウト満塁から3番吉永4番小久保を連続三振。
高卒プロ1年目だぞ?と、鋼のメンタルとその球威に心底ゾッとした。
敵側から見ても間違いなくスーパースターだ。
名勝負の数々を見せて頂きありがとうございました。お疲れ様でした。
世代代表、色んなものを背負って頑張ってきたと思います。お疲れ様でした。
松坂サイドからすれば役に立たないのに高額年俸を稼げたし、良いイメージで引退できたし。上手くやったよね。
でもね、その高額な年俸や契約金は彼に期待した沢山の人たちが直接、間接に出資したお金だよ。
22年前だったか日ハムとの初陣を東京ドームに見に行ったのは。片岡への空振り凄かったな。ギラギラしていた。
自分にとって23年前に戦った同士として松坂世代という冠は誇りだった。
次のステージでの活躍を期待しています。お疲れさまでした。
カズは下のリーグで頑張ってるから美学と言えるけど、上でやれる可能性のない選手が枠を消費して居座るのはあまり感心しない
まぁ契約する球団が悪いんだけど、本人も無理だと分かっていたと思うんだけどね
ストイックにプロ野球選手を貫いたイチローさん。
山本マサさん、黒田さん、昔の小宮山さんの様に衰えた球威を補う為にコントロールを追求したのか、身体を作り直したのか、
ズルズルと無為に月日を浪費したのではなかろうか。
もっとできたはずです。
ファンとしては、なんだか残念でなりません。
サラリーマンの自分は、松坂世代の名に恥じないのうに、コツコツと、頑張ります。
本当にお疲れ様でした。
登板したのは評価できない、
登板なしのまま潔く引退した方が良かった、
興行面を西武が考慮したのなら、
残酷としか言えない。
高校時代から大活躍し、プロでも常に第一線で戦ってファンにたくさんの希望を与えてくれました。並々ならぬ才能と努力の人だと思います。
今までのたくさんの経験を今度は多くの野球ファンに伝えたり、これからも野球界の発展に関わってほしいものです。
本当にお疲れ様でした。
あの時の松坂は4番投手。まさに野球少年のヒーローだった。
その後も彼から多くの感動を貰いました。
お疲れ様でした。
奥さんが気持ちの強い人では無かったと言う言葉があった。体型や行動からみて私は松坂本人も律する気持ちは強い人ではないと思っている。
選手生活を辞めたこの後。必ず寄ってくる甘い誘惑。詐欺や、クスリ、女。
これらに本当に気をつけて欲しい。
現役お疲れ様でした。
118キロの山なりボールしか投げれない状態でよく今年の契約結んだなと思う。
恥ずかしくないのかそんな状態で球団から金をもらうことに?
素晴らしい投手だったが晩年を汚しすぎだ
AIに消されないように言葉を慎重に選んではいるが、仮に目の前にいたらいいたいことは山ほどある
あの当時は150キロ台は豪速球でそうお目に掛かるもんじゃないって感覚だったけど松坂以降は徐々に速球派=150は当たり前という風に変わって行ったようなきがするね。
初めてそういう球を投げた投手ってわけではないけど間違いなくそういう時代に変えるきっかけになった凄いピッチャーだった!
MLBに行ってTG手術して全盛期とは程遠い投球しか出来なくなった。
ご本人の美学も当然あると思いますが、引き際も大切かと思います。
晩節を汚してしまったな、残念だなと率直に思います。
「肩や肘がボロボロ」と言うけれど、けがを理由に休養中にどこかのアナウンサーとゴルフに行っていたことが報道されるなど、いわゆる野球人生において引き時を間違えた選手だったのではないか。
もっと早く引退しておけば、もっとイメージが違ったのに。
私は長い事ライオンズファンです。
1998年ドラフト会議から…
23年ですか、あっという間。
良くも悪くも1番楽しませてくれた
ピッチャー。
そして晩年は移籍の繰り返しでしたが
引退試合でライオンズの
ユニフォームを着ている姿。
これが嬉しかった。
暫くはゆっくり休んでください。
また球場で御目にかかる日を
楽しみにしてます。
因みにベストピッチング。
この試合は興奮しました。
2006年クライマックスシリーズ
第1戦対ソフトバンクホークス戦
よかったら見てください。
YouTubeに上がってます。
全国大会の決勝で試合したのが自慢です^_^
自分は今の仕事で疲れてしまった時、同級生の活躍で何度も救われたか️
これから、第二の人生頑張ってほしいです。個人的な意見としてライオンズファンとしては、監督として日本シリーズでの胴上げみたいです️
ずば抜けた成績もさることながら、契約更改で自分がいくらでサインしたのか記者の前で堂々と言い切ってしまう心の強さ
テレビで年俸が推定ではなくて確定と書いてあったと記憶しています
試合前の記者会見、漢だなと思いました。
記録にも記憶にものこる剛腕投手です
お疲れ様でした
管理人の率直な感想
平成の怪物の名に恥じることのない活躍でした。
200勝達成はできませんでしたが、それ以上のインパクトを残しましたね。
ゆっくり休んで、いつかは球界に戻って来てほしいですね。
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