広沢克実氏、移籍決断の裏側 野村克也氏は「巨人に行かないほうがいい」
ヤクルト、巨人、阪神で4番を任された広澤克実氏(57)。ヤクルトでの10年間で、2度の打点王を含む1301安打を記録したが、1994年オフにFAで巨人に移籍後、5年間で296安打に留まった。移籍決断の裏にあった思いを聞いた。
巨人での5年間は苦しかったですよ。プレッシャーで打てなかったこともありましたし、豊富な人材がいてポジションをなかなか固定してもらえなかった。
本職の一塁手には落合博満さんがいて、慣れない外野手での起用が多かった。移籍1年目は生涯で初めて打率2割5分を割りました。
2年目のオープン戦では、当時12球団で一番コントロールがいいと言われた西武の石井丈裕から死球を受け、骨折して連続試合出場が止まった。それまで1度も骨折経験がなかったのに、巨人で2度も骨折しました(苦笑)。
FAで巨人に行っていなければ……と考えることはあります。移籍前に、当時ヤクルトの野村(克也)監督からは「巨人の体質を考えたら、行かないほうがいい」と反対されていました。でも、ヤクルトに残って後悔するなら、FAしての後悔を選ぼうと思ったんです。
広澤氏は1999年に巨人を自由契約となり、翌年から恩師である野村氏が監督を務めていた阪神に移籍する。
もしヤクルトに残っていれば、野村監督の野球理論をもっと身につけることができたでしょう。野村監督はよく「頭を使え」と言いますが、僕に限らず大半の選手は現役時代、“感覚”でやっていたと今になって思います。
若い頃に理論を持って野球ができていれば、成績が落ちても底なし沼にハマらず、抜け出せただろうな。もちろんコーチの助言はありますが、プロは自分で自分の状態を判断し、最後は自分の中で消化できないといけません。
ヤクルトに生え抜きで残っていれば、今頃は監督になれていたかもしれないが、お山の大将で終わっていたかもしれない。色々な経験を経たからこそ、今では野村監督に教わった理論にオリジナルを加えられて、自分では野村理論を越えたと思っています。
それを後輩に指導しても面白いけど、一番は今の理論を身につけたまま20代の肉体に戻って野球をやりたい。物凄い成績が残せると思います。
●ひろさわ・かつみ/ヤクルト、巨人、阪神で4番を任され、通算1736安打、306本塁打を記録。引退後は阪神の打撃コーチ、カンボジア代表のコーチも務めた。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191229-00000007-pseven-spo
ネットの声
ヤクルト一筋で40までやっていればもしかしたら2000安打も達成できていたかもしれない。
一方で、巨人に移籍したおかげで「巨人と阪神の両方で4番を務めた選手」の称号も得たし、今の広沢があるわけなのでどちらが良かったのか分からんね。
あと、「野村を超えた」は本気で言っているわけではないと思うね。
確かに巨人は飼い殺し的な獲得をよくやるけど、広澤の場合は違う。
1年目は普通に全試合出場してるし、2年目以降は本人も言ってるとおり骨折したり・・・。
つまるところ、単に結果を残せなかっただけなんだよね。
それをアンチを中心に当時「広澤は飼い殺しにされた」みたいな声が出てきて、本人がその声にのったって感じがするな。
実際に飼い殺しにされた選手は何人もいただろうけど、広澤が自分をそうだったみたいに言うのは、その選手達に失礼だと思う。
野村を超えているわけがないのに、超えたという変な自信。
これでは、次の野球界の仕事は来ないんじゃないか?
広沢はチャランポランだからヤクルトそのままいても野村理論が身についていたかは謎だけどね。
当時のフロントに、君は古田を抜けない二番手の評価だと言われて、そのまま我慢していても良い成績は残せなかっただろうから、巨人にFAで行ったのも、今でも理解出来るけれど。
今更自分の選んだ人生、特に選んだチームの起用法をどうこう言っても仕方がない。
でも広沢、ハウエルが巨人へ行き相当な戦力ダウンになったと思ったけど、2人が抜けた後のスワローズも古田や池山中心の野村野球は本当に楽しかった。
自分の人生だから移籍はしょうがないかもしれないが、ヤクルトに残っていればもっと現役も長くできただろうし、監督やコーチもできただろうね。
野村監督は越えられないけど。
そこまではいいとして、野村理論を超えたと言うのはさすがにハッタリが過ぎる。
華はあまり無かったが献身的なプレーと長打力が巨人時代好きでした。ヤクルト時代ももちろん有名でしたが、さらに巨人ブランドで引退後も食えたはず。それを今更何を言ってるのか。ポジションが固定されなかったのも、骨折も巨人のせいにして。年俸も大幅アップしておいて…広澤さん、そりゃないですよ。
プレーしていたようには見えなかった。だから
巨人に移籍しても苦労するだろうと思ってました。丁度、松井がブレイクする前で、スタメン
で並んだ試合でも広沢は影が薄かった。
最近、評論家として色んな記事にコメントを
見るけど、当たり前の事を言っているだけ。
野村さんなど永久に越えられないわ。
巨人に移籍した広沢は、最初はレフト、次にライト、それからサードも守っていた。ファーストは落合、それから清原がいたからな。
96年の死球離脱のために、レフトに当時新人の清水が定着。ライトも由伸が入団したことで外野に居場所がなくなったんだよ。で、サードを守ったり、代打を任されるようになった。99年に肩を脱臼して、巨人での居場所を失ってしまったな。
ヤクルトフロントに「君の時代は終わった。」と言われたことにキレてFAしたと言われる。一時の感情で動いてはいけないなと、広沢を見てそう思う。
巨人へと正式に発表になる前から「巨人へ行っても頑張れよ。」と言われてみたり、マスコミを通して「金を取るか世話になった球団への義理を取るかどっちかやな。」と言われてみたり、移籍後のオープン戦で挨拶へ行った時などは「憧れのユニホームはいいか?」と笑いながら言われていたのを思い出す。
それでも移籍したのだからそれなりの動機や覚悟があったはず。
それが巨人が好きだったからなのかヤクルトが嫌になったからなのか巨人の条件が良かったからなのかは分からない。
しかし今更何を言っても後の祭り。
仮にも4番を打っていた人が今更こんな女々しいことを言い出すこと自体がヤクルトファンとしては残念だ。
強かった時代のヤクルトの選手で主力だったのにコーチ監督になれないのはそういう所なのだろうね
FAは自身の判断ですし競争の激しい球団で勝ち残れなかったという話。
当時の実力で、今のソフトバンク行っても同じ結果になってたでしょうね。
自分がそれを選択して骨折や成績不振になったんだから
ヤクルトに残っていても巨人以外のチームに行ったとしても同じだったかもしれない
もはや『たら・れば』の世界の話
でも今だに、解説で燕軍をディスっていると聞くと悲しくなる。
広沢にはもう少し、大人になって欲しいなぁ。
広澤さんに関しては結果出なかっただけですよね?
ヤクルトよりプレッシャーがあってなかなか活躍できないのかな?と子どもながらに思っていましたので、巨人のせいにするのはどうなんでしょう…
「野村を超えた」って何を根拠に言っているのだろう。野村さんは理論と言うよりは緻密な観察力と分析力そして心理の読みが加わって結論を出していくのです。方程式みたいなものは存在しないです。広澤氏の経験では野村さんを超える事はまずないと思う。
こう言うタイプはもし移籍して無かったら、移籍すれば良かったとか言うのでしょう。
周囲が二人を見た時に、野球人生でどちらが幸せかと思うと、池山だと思う。
ただ、広沢さんが巨人へFA移籍した本音が出ていないと思う。
移籍して後悔を選ぶという決断は古田捕手が居たからだと言える。
仮にチームに残っても、おそらく古田が指揮官として先に監督になっただろうから。
ノムさんが最後に心象悪くチームを去る事にならなければ、古田を後継に指名した筈。巨人の厳しい状況の中も広沢さんはわかっていた。
今、振り返っても仕方なかったと思う。
自分の人生だから、選択した答えに間違いはないと思っていても何年かして過去を振り返るコメントを出すようでは大した選手にはなっていないと思うね。
あの頃は、欲に目がくらんで移籍したはいいが、FAで好成績を残した選手はそんなにいないと思うし、監督の言うことを聞いていればなんて言う自体、選手生活に満足をしていなかったということだよね。
ヤクルトにいたら、監督までは無理でもコーチとして若手を育成できる環境にいられたとは思う。
骨折してなかったら96年もフル出場だっただろうし、そうなれば、逆転優勝もなく清水も使われることはなかっただろうね。
横柄な性格が顔に出てるよね。
指導者としても無能なことも証明できてるし、バラエティーで頑張って。
球団や首脳陣のバックアップが絶大なのを差し引いても、ある意味滅茶苦茶な環境で、期待通りスラッガーになり、全試合出場し、タイトルを複数獲得した松井選手は本当に凄いと思う。
当時の巨人フロントは他球団の4番バッターを根こそぎ集めているって感じだったけど、当時FAすると「長嶋監督が花束を持って自宅訪問して、きめの一言を言う」のが定番化していた中で、この人は長嶋監督一切動かなかったような…
それどころか、ホームベース手前でワンバウンドした球をスイング。しかもワンバウンドした球を空振り。
試合後の監督インタビューで、その点を突っ込んだインタビューに長嶋監督が
「う~ん、いわゆるワンバウンドのね、そのいわばトス的バッティングの球を振ってしまうと、、、ええ、さらにそれが空振りであるというね、これはもう、彼はその程度の選手ということでしょう。いわゆる一流のバッターであれば、あの球は振りません。」
とバッサリだった。
元木や清原などヤンチャな選手は好きだけど、ヤンチャとも違う只のいい加減な選手だったんだろうな
表だって批判めいたこと言っているの、広澤だけ。チーム事情分かっていたと思うし、競争に負けただけ。後悔を公にしてもみっともないだけ。格好悪いと思う。小笠原、落合、みたいに格好いい生き方ができないのかと思う。江藤なんか人的補償になってしまったけど、コーチもやってくれたから感謝しかない!そんなだから、指導者として声がかからないんじゃない?
外角外寄りのスライダーは全て空振りのイージー選手だったからね。
ただ、巨人の槇原のフォークを投げる癖は知っていた。
日本シリーズのゲスト解説で槇原がフォークを投げる時、投球動作に入った瞬間、都度「フォーク」と予言。
どうやって見破ったかは言わなかったが、それをみやげに来期巨人に行くと発言。
あとでビデオで見返したら、広沢が「フォーク」と予言するときは、槇原がセットポジションで静止し、投げ始める前に毎回「落ちろ」とばかりに首を縦にカクンと振っていた(笑)
すっぽ抜けて甘いところに入らないように願いを込めたのかな。
プロはこうやって癖を見つけるんだな、ヤクルトやるな、広沢はそういう意味で戦力になるかも、と思ったな。
まあ、ここで言ってることそのままで、自分だけの世界観で、実力を過大評価してるって感じだったかな。
ヤクルトファンだが、4番で毎試合出て、打点王と活躍してくれたけど、打つだけの選手だった。
’92年の日本シリーズでの本塁憤死は、これで日本一を手放したような大失態。
ゴールデングラブ賞狙うとか言ってた記事を読んだが、駒田選手がいるなかでは、本気なのかポーズなのか。
FAでジャイアンツに移籍して、次の年に落合選手が来るときも、自分の方が上って感じでコメントしてた。銅と金くらい技術に差があるのにね。
ジャイアンツで大活躍といかず、名球会も指導者、幹部もなくしてしまったんだから、野村監督がおっしゃる通り、「巨人に行くな」だったろう。
お金や待遇に眼がくらみ移籍する選手が多かった。
でも、入団してきて巨大戦力だから競争も激しいし、やった事もないポジションを任され、巨人には他球団にないプレッシャーやストレスは半端じゃない事が入ってから気が付いたんだろう。
野村監督は、その事が分かっていたから巨人へのFAは止めたと思う。
あのままヤクルトに残って居れば、名球会も夢ではなかったと思う。
それに、折角ヤクルトに居て野村野球をしていたのだから、もっと野村野球を考えて実施してたら、今後はどこかのコーチとかになっていたと思う。
古田・宮本・高津らは野村野球の申し子なので監督。コーチに呼ばれるんだろうな。
人生の分かれ道で、行ってはいけない道を選んでしまったと思う。
今は、FAで巨人に行かない選手も増えてきているし、一番はブランドじゃなく自分の働き場所が最優先だ。
あの当時、巨人に落合がいるのは分かりきった事、越えられる気がないなら来なけれ良いだけ・・さもなければ、清原みたいに一塁手を確約出来ないならいかないとでも言えば?
数日前に八重樫さんが書いていたが、どちらかと言えば「もっと若い時期に野村さんと出会っていれば・・」を後悔した方が・・
優勝した西武のAKがは、オフにしゃぐのは分かるが・・Bクラスのイケトラがはしゃいでも・・
「野村越え」を自分で書くのを見ても、結局自分の能力を理解出来ていない・・
それに現役時代から、同僚だった池山氏はオールスターのゲスト解説に呼ばれても「野村メモ」を買いた大学ノートを広げながら解説し、意外感も含め評価されていましたが、広澤氏はそうではなかったはずです。その評価は今でもかわってないでしょうね。
感覚だけで超一流の成績を残す選手はいない。
長嶋茂雄さんは素晴らしい功績を残した選手だったと思うが、残した成績自体は超一流の領域ではない。
成績だけで見れば王さんと野村さんは超一流
この人は巨人に行ってからは怪我が多かったから出られなかったのは仕方ない面も。
ただ当時の巨人は酷かった。
別にアンチ巨人でなくても純粋な野球ファンとしては、バンバンホームラン打てるはずのスラッガー達がベンチにずっと座ってて代打でしか出てこないのは見てて辛かった。
高級食材が冷蔵庫にずっと入ってるような感じ。
しかしながら「野村理論を超えた」だけには全く納得できません。だって、それを示す具体的な結果・成果を広澤さんは示してはいないのだから。
軽薄さは否めない(´・ω・`)
しゃべる仕事だけ粛々とすべきかと。
野村理論値勝てるとか軽々しく言うもんじゃ
ないわな(´・ω・`)
どんな形であれ、唯一無二の経験をできる選手なかなかいないし、引退後のセカンドキャリアのことを考えると、巨人への移籍もありだったと思う。余程のことがない限り、このような唯一無二の経験をされる選手はなかなか出て来ないでしょう。
と言いたいが何気に打率と出塁率の結果を残しているから何とも言えない選手だった。
というのが永久監督さんの思考だったから、
広澤が結果を出そうが出すまいが清原らは獲得されて
広澤がファーストのレギュラーになる事はなかっただろうなとは思う。
ただ少なくとも落合は広澤より先に巨人にいたんだから、
落合がいた所為でファーストを守らせてもらえなかったって、
じゃあどういうつもりで巨人に入団したのって話だよね。
巨人での初年度は不調でも連続試合を継続させて貰って全試合に出たのに
それに打率が低いだけでホームラン、打点は大きな落ち込みはなかった
97年は打ってレギュラーを確保したが以降は競争に負けただけ
ヤクルトに残っていても古田の次が気にくわなかったので出たんだろ?
巨人での重圧に潰れて力を出せなかった言い訳だ
巨人の選手はこんな中でプレーしていたのか?と嘆いていたじゃないか
そんなことを未練のようにいうこと自体が、器の小ささかな。若い時からそれができるのが天才と言われるわけだし。
それに野村監督を越えたなんていうのは、実績を作ってからにしてほしいかな。先走ってそんなことを言ってしまうあたり、やっぱり器が小さいな。
世界記録となる73本塁打を打ったのは37歳のシーズン。その数年前から成績が年々低下して、彼には限界説まで出ていた。その前年から「薬物」の効果で衰えの見えた肉体が改造され、若い頃をはるかに上回る強打者になった。
広沢もショッカーに頼んで改造肉体になれば、ボンズのように知識と経験の裏打ちで加齢に逆行した強打者になるだろう。実際にやってみる?
それって、本来なら広澤さんがそういう態度・姿勢で若手に対して見本を見せるべきだった立場だったのに年下の松井さんのほうが模範になっていたってことですよね。
阪神への無償トレードは当時弱かった阪神への「武士の情けトレード」的な印象がしましたよ。
広沢が打てなかった原因は『ヒッチ打法』>つまり投手が投げた後に
肘を上下させてタイミングをとるうち方。アジャストすれば腰の回転を増して球は飛ぶが、変化球に弱い。ヤクルト時代は二番手か三番手の投手が相手だったが巨人に来ると一番手の投手が投げてくる。それでタイミングを崩されたまま三連戦。直すには遅かった!
実は、巨人に来た丸も軽いヒッチ打法。だが、ヒッチをしても頭が動かない。それでも第一打席でタイミングが狂うとノーヒットの日が多くて修正できないで終わることも多々ある。今さらスタイルは変えられないが、優勝チームで戦ってきたから同リーグの巨人に来ても通用している。日本シリーズで広島時代に続いて大ブレーキだったのは、当たり前なのかも。技術は嘘をつかないね。
参考に。
管理人の率直な感想
ノムさんの助言を聞いておけばよ良かったのに。
広沢のファンだったので、当時移籍が決まったときはショックでした。
せめて活躍してくれれば良かったのですが…。
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