プロ野球・金田正一伝説!自ら「ピッチャー金田」「180キロ出ていた」乱闘で助っ人に顔面蹴り… 

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プロ野球・金田正一伝説!自ら「ピッチャー金田」「180キロ出ていた」乱闘で助っ人に顔面蹴り…

プロ野球で唯一の400勝を達成するなど史上最高の左腕投手と呼ばれ、ロッテの監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で86歳で死去した。

【金田伝説アラカルト】

【下痢翌日の完全試合】57年8月21日の中日戦は前日に下痢を発症して体調を崩した中で達成。9回1死で相手打者のハーフスイング判定をめぐって中日が抗議し、激高したファンも乱入した。約45分の中断があったが、再開後は打者2人をいずれも空振り三振。中断中にネット裏記者席で「中日の選手は私の大記録にケチをつける気だ」と怒りをぶちまけた。

【米国車】「外車だと事故に強い。中が広いから寝ることもできる」と球界で最も早い時期から米国車に乗り、専用の運転手も雇った。

【引退会見】通算400勝を達成した69年の11月30日に現役引退を表明。会見では長年酷使した左腕を「見てくれ、こんなに曲がってしまって、どうやっても伸びないんだ」と披露した。この場面は漫画「巨人の星」にも描かれている。

【乱闘】監督を務めたロッテの第2次政権時の91年5月19日に、近鉄のジム・トレーバーが内角攻めに激高して大乱闘。暴れて倒れた同助っ人の顔面に蹴りを入れた。また、乱闘では右腕で殴ったり、バットを持って威嚇したことも。90年6月23日の西武戦では審判員に足蹴りをし、退場処分となった。

【名球会会長辞任】会長を務めていた名球会でワンマン運営だという批判が上がり、09年に代表取締役を辞任。

【180キロ?】スピードガンが普及していなかった現役当時の自身の球速について、引退後に「180キロは出ていたんじゃないか」と各メディアで豪語。球が速過ぎ、投本間の距離が短いと疑われたこともあったという。

【自ら「ピッチャー金田」】シーズン19勝で迎えた60年9月30日の中日戦。先発の島谷が、勝利投手の権利がかかる2―0の5回に無死三塁のピンチを招くと、「ワシが行く」と自ら投手交代を審判に告げ、そのまま投げきり、10年連続で20勝目を手にした。結局、島谷はプロ6年間、通算0勝で現役を終えた。

参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191007-00000047-spnannex-base

ネットの声

名無しさん
本当に野球に対してはダイナミックというか、天真爛漫で熱い男だったと思う。
ロッテの監督時代に幾度となく退場を命じられたし、相手監督や選手に対しても暴言を吐いたり乱闘を仕掛けたりと、今じゃ考えられない程の熱い男だと思う。
選手時代は、カーブとストレートだけで良くも400勝を達成し、やはり長嶋との開幕4打席4三振はすごかった。プロの厳しさを教えてやった。あの闘志は本当に凄い物があった。
日本球界では絶対に破れない記録の一つである400勝は無理だと思う。今じゃ規定投球回数をクリアしたパ・リーグの投手は6人しかいない状態では絶対に400勝は無理。それほどまでに凄い投手だったという事だろうな。
ちなみに、今年の最多勝はセパ共に15勝。これを27年続けないと400勝にはならない。高卒の投手が山本昌投手位になるまで15勝を続けないとこの記録は破れない。この記録は王選手と共に破られないだろうな。
名無しさん
金田氏は、野村克也氏と同じで貧しい生い立ちで育った苦労人だ。
親や幼い兄弟達ちの生活を養い、弟達を大学まで進学させている。
なかなか出来るものではない。
背負っているものが違っていた。
それも金田氏の原動力になっていたの間違いないと思う。
だから練習も他の選手達の倍はしていたというし、王や長嶋も見習うほどの練習量だったらしい。
野村氏に、一番よく走っていた選手だったと言わしめるほどである。
タダ体格に恵まれていただけの人ではなかった。
また練習だけではなく、食事面や身体のケアにも力を入れていたという。
もし、自分に何かあると、家族を路頭に迷わせてしまうと言って、健康管理にはお金を費やし注意を払っていたという。
野球人として本当に素晴らしい成績だと思う。
400勝の記録は、投球制限をしている現在では、もうどんな投手であっても、それを抜くことは不可能だろう。
巨星がまた一人去って寂しい限りだ。
名無しさん
昔は力対力の野球のイメージが強い。
ピンチが来たり、チャンスが来たら手を上げていく人が多そう。
監督時代しか知らないけど、小さいながら頭に残っているのは、審判に抗議している金田さんでした。
名無しさん
400勝という不滅の記録は凄まじいが、300敗というこれまた不滅の裏記録もある。無事これ名馬、の権化のような選手だった。彼はその他数々の伝説を残しているが、最も特筆すべきは24歳にして200勝を達成しているという全盛期の無双ぶりである。しかも球種はストレートとカーブだけ。現代ではおよそ不可能に思われるが、それにしても当時いかに彼が突出していた存在だったのかがうかがわれる。
名無しさん
私が物心ついた頃には、金田さんは讀賣に移籍していて、そのスゴさをTVで感じることはなかったですが、さすがに時速180㌔は言い過ぎかと(笑)
ただ、落差の激しい独特のカープがあったので、その緩急の違いで、速球がより速く見えたのではないかと思います。それとあの時代にしては凄く大柄な方ですからね。ピッチャーズプレートが近く見えて威圧感もあったことでしょう。
色々なエピソードに事欠かない方でしたが、記録と記憶、両方が残る大投手であったことは確かだと思います。
名無しさん
金田さんの全盛期を知る世代は70代以上の人だと思う。
60代では金田さんの晩年だから何が180キロなのかは分からないけど
長島選手の4連続三振を何度もVTRで見るけど
全てにおいてふり遅れている。相当な急速だと言うことはよくわかる。
よく今の投手と比較されるけど、急速はスピードガンとはまた違う。
それが所謂球威だと思う。140キロ台のスピードでも振り遅れる
逆に150を投げてもポンポン当てられる投手もいる。
自分はロッテ時代の監督のイメージしかありませんが
その中でもハイライトが当時ドラフトの大スター小池投手。
意中の球団は巨人を初めとした球団だったと思うし
本人も多くの球団から指名されて大満足だったが、くじ引きの結果・・
ロッテ小池。その瞬間金やんは満面の笑みでよっしゃー
そして笑顔から一転奈落の底に突き落とされた青ざめた小池選手。
今でも忘れることができない、名シーンだと思う。


名無しさん
大投手・金田の現役バリバリを知っている人は70歳前後の方でしょうか?私も最初に名前を聞いたのは長嶋が巨人入団し最初の打席から4打席連続三振を喫した相手が当日・国鉄の金田であったことから知りました。良く調べると400勝もしていることでほとんどが当時弱小球団の国鉄での勝ち星とか。余計に価値がある400勝と思います。現在のプロ野球では考えられない大記録で200勝でも大変な時代です。不滅の大記録と言いますが正に金田の400勝と王の868本塁打でしょうね。また、プロ野球の一時代を飾った大投手が逝きました。プロ野球ファンとしては寂しいです。ご冥福をお祈りします。
名無しさん
当時の映像を解析したら、おおよその急速は分かると思うけど、それをしないのは金やんが伝説であり続けるゆえの事でしょう。
180キロはあり得ないと思いますが、伝説は伝説でこれからもそうであって欲しいと思います。今後100年嫌、将来400勝投手何て出ませんからね。
金やん今までありがとう。
そして安らかに合掌
名無しさん
金田さんの時期とか、王さんの時期とか
色々な理論の時を過ごして来て
今の技術や理論が有ると思うよ。
だから、今の技術や理論での野球と
当時の野球での記録を、比較する事に
無理があると思う。
鶏が先か?卵が先か?
金田さんや、王さんが今の時期に現役なら
今の技術や理論を必死に、考えて野球に
向き合っているんじゃないかな。
よく、日本の戦争を責める人がいるけど
その時の世界情勢や、道徳観で起きて
反省した後の教育、道徳観で遡って
過去の過ちを裁こうとする、人がいる。
過去の栄光を、現代の理論で評価するのは
ちょっと酷だと思う。
名無しさん
スピードに関しは、140キロそこそこだったんでしょう。それでも当時は十分速かった。大きなカーブもあったしね。バッティングマシンでガンガン練習する時代でも無かったし、バッターのレベルも低かった。本人が言ってたような気もしますが、昔は9人のうち、2,3人気をつけて押さえば良かったが、今は9人全員だと。ただあの時代でも400勝で来たのは、大きな怪我がなかったからでしょうか。西鉄の選手の武勇伝とは違って、結構健康管理に気をつけていたとか。
無事これ名馬ですね。
名無しさん
現役時代の金田さんの記録は本当にすごいですね。
決して強くないスワローズでの勝ち星が多いことも立派だと思います。
乱闘の場面がよくVTRでも目にしますが、金田さんの場合、なぜか笑えるのも、この人の実績と豪快な人柄なのだと思う。
野球界の発展に大きく貢献された昭和の偉大な選手が亡くなられ、
寂しく思います。
ご冥福をお祈りいたします。
名無しさん
180キロは流石にないと思いますが(笑)、間違いなくキレは良かったんだと思う。
当時では特に珍しいサウスポーに長身のオーバーハンドで角度もあるとなれば、打者は相当球を見辛く、打ち損じも多かったのだろう。
実際は140キロ後半(この球速でも当時ではかなり速かった)ではないのかと推測しますが、打者は、その10キロ以上を体感していたのではないのでしょうか?


toMP1983
そういえば「巨人の星」でも金田投手は重要な役割を果たしたんだった。
星がプロ入り後、軽い球質(あんな極端なことはあり得ないらしいが)でメッタ打ちに遭い、金田に「変化球を教えてください」と頼みに行くと、金田は「ワシが若かったら自分独自の変化球を編み出す」と言って断ったことにより星は魔球の開発にとりかかり、完成した魔球に「大リーグボール1号」と命名したのも(そもそもネーミングが安易なのとアレが変化球か?という疑問はあったが)金田だった。
原作の梶原一騎はあまり野球が得意じゃなかったと聞くが、金田氏と親交があったのだろうか?また金田氏はあの設定をどう思っていたのだろうか?と疑問が残っている。
民主主義は守られたが油断はできない
体づくりのために食べるものからこだわったり、トレーニングに応じて食事を変えたりと
今では常識かもしれないが、それを1950年代からやっていたのがすごい。
もし今の時代に金田氏が現れたら、最新のトレーニングとコンディション調整法を導入して、誰よりも強靭な肉体を手に入れて今の時代でも大活躍していると思う。
名無しさん
ノムさんが、空振りさせるって事はストレートの質が良いから、ピュッっとポップしてるから、なんて言ってたけど、彼のストレートは常にそれだったのだろう。さすがに180キロはないけど、150キロ台でその質のストレートであればバットにかすらないってのも分かる気はする。バッターにとっては凄く速く感じただろうね。当時の選手が、後にも先にも一番速かったのは金田、って口を揃えて言ってたからね。
名無しさん
まぁ、凄い選手だったのは間違いないんだけど
20勝がかかってるからって「投手は俺だー!」って出てったり
そういう、今ではありえない事もあったんだろうし。
過去の映像を見てると特段、球が速かったようには見えない。
むしろ阪神の村山なんかは球が速いのが映像でも確認できるし
過去の証言からしても東映の尾崎はもっと速かったのだろう。
(金田が180kmなら村山は190km?尾崎は200kmか?)
王や長嶋も「長嶋さんが言うなら、これはボールだろう」って
審判が忖度した「王ボール」「長嶋ボール」もあったという。
現代の尺度で彼らを測っても上手くは行かないと思うよ。
当時は清濁合わせた面白さがあったのだろうから、
「清いだけ」の部分で断定しても実態は得られない。
名無しさん
名選手や名横綱など、歴史に名を残す人は人間的に問題がある人が多い事実。
逆を言えばそのくらいないと名選手にはなれないということだろう。
名無しさん
ご冥福をお祈りいたします。
色々あったけどマスコミを敵に回したことは無い。気配りはしっかりしてんだと思います。


mket
現役時代の数少ない映像を見る限り、160kmは出ていないと思いますが、150kmは超えていたと思います。
長身から投げ下ろす、ドロップ(スローカーブ)との緩急で、打者としては160km以上と感じていたのは間違いないと思います。
主に120km台のストレートにスローカーブ、フォークを織り交ぜ、通算176勝を達成した星野伸之氏の緩急自在の投球で、ストレートが、158kmを投げた伊良部投手よりも早く感じたという方もいるくらい、緩急というのはボールを早く見せるうえで重要な要素となります。
永遠に破られることがない不屈の記録を作ったのは間違いないです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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まあね、丁度トレーバーちゃんの顔面が蹴ってください!
って処に来ちゃったしな。あれはおもろかった。そんな時代ですよ。
今じゃ大炎上でしょうけど。
肘もそりゃそうなるよな。あれだけ投げれば。それでも勝ってしまう
鉄腕ぶりで根性も座っていたという物でしょ。現役知らずの
映像世代だけど凄いなと思うものですよ。
流石に180キロは出てないと思うけど映像解析すると平均速度で
160キロは出ているんじゃないかなとは思う。
当時の映像検証するとやはり0.4秒ほどで打者に到達している。
っていう事は初速のスピードガンが拾うタイミングによっては
もうちょっと速くてもおかしくないのかなと。
その辺は東大の研究チームの方がより正確にやってくれるでしょうけど。
沢村さんにしても金やんにしても凄い奴は昔から凄かったという事だろ。
長い日本の球史にもそういう英傑が登場してるという事。
しかし400勝は桁違いだな。
名無しさん
世間ではどうしても昔賛美のイメージを持たれやすい人だけど、トレーニング理論や食事、「休む時は休め」など実は常に最先端を行っていた。
コメンテーターとしてもわからないことはきっぱり「わからん」と言うし、根性や勝気など昔の人の良いところはそのままに柔軟さもある人だったと思う。
現役選手や現役コーチ、コメンテーターも彼の姿勢から学ぶところはいまだに存分にあると思う
名無しさん
球速について
現実的に金田は、戦中戦後の食糧事情で育った人間なので、絶対的なスピードは150キロに届くかどうかだったと思う。
打者もそれなりの体だったので、スイングスピードも速くなかったはずだ。
スピードガンが出たころ、150キロ投げた中日の小松の速さに驚いた。
江川が巨人に入団して間もないころ、完投して9回に150キロ投げてた。
清原は、ロッテの伊良部の157キロをホームランしている。
絶対的なスピード165キロを持つ大谷は、渡米する前160キロ超の球でもヒットを打たれている。
今は1軍のピッチャーなら3分の1位は150キロ投げるんじゃないか。
球が速いと言うのはバッターとの相対的なもので、金田の絶対スピードは150キロ出てたかどうかだと思う。
名無しさん
日本史上最高だった大投手のご逝去、元野球人として心よりご冥福をお祈り申し上げます。
ただ球速においては、投球イニング数に対する奪三振数を見れば一目瞭然で、あの当時のレベルのバッター相手の数字からしてマックス140km/hでしょう。
1955年シーズン、400イニングに対して350奪三振。
現役を通じて奪三振数がイニング数を上回ったのは、1959年の1回だけ。
一流の剛速球投手は、100%イニング数より奪三振数が上回ります。
名無しさん
野球界全体的に今の技術や力の方が昔より優っているとは思いますが、体力や闘士は、この時代の方々は凄かったと思います。
400勝なんて、この先抜ける人は居ないと断言できる記録だと思います。
安らかにお眠り下さい、そして、お疲れ様でした。


名無しさん
VTRを分析して、正確な急速を調べて欲しい。もしも、180kmなら、受けていたキャッチャーも称賛すべきだよねぇ。いずれにしても、ボール一つ取っても、今とは違うだろうし、時代の違いはいかんともし難い部分はあるが、出来るうちに、過去を解き明かすのはロマンでもある…。
名無しさん
確かに背も高いし腕も長いし、柔軟性もかなりだったからか、スゴく胸を張ったフォームから手が遅れて出る感じ。筋力もあったらしく、確かにスピードも出そうだが、あくまでカレは太く長くがモットーで、殆ど毎日と言って良いくらいに投げるために、高速クルージングで投げていたろう。基本、ストレートとカーブ、ヒジに負担の高いフォークも投げてないハズ。
確か、カレはステップでかなり前に出て投げるコトを意識していたハズ。調子悪い時ほど50センチ~1メートル前に出てリリースしてたと裏話的に言ってた。
覆面Q
球も速く、体も大きくタフ。まさにエース。
金田さんの成績は今の球界では無理。
破天荒な人物が再び現れるのは現実的。
今のプロ野球は紳士的すぎて熱さが足りない。
名無しさん
いや180キロは無理だろう。
人間がそこまで投げる事が可能な生物だったら、今の投手は180キロ投げているだろう。
金田投手が結果出せたのは、やっぱりカーブじゃないのか?
と、それを出来る体があったからだろうな。
穏やかになってほしいです
最後は200キロとも言われていました
国鉄だけに、金田さんは車両で言えば151系ですかね?
今のN700系のように速くはないですが、当時は最速でしたし、歴史に残る名車、その後の鉄道の向上に大きく貢献されたと思います
ご冥福をお祈りいたします
名無しさん
乱闘の時はケガ防止のために左手にタオルを巻いて、それでもさらに用心して拳ではなく蹴りを徹底的に使った。
手の指先のケガ防止のためにヒゲを剃るときは電気カミソリを使用。
足指のケガ防止のためにサンダルや下駄は履かなかった。
車に乗るときは左手を守るために必ず右側の席に座った。
血の気が多いようで実はかなり細やかな人なんですよね。


alansmith
東工大の物理研究室が、当時の投球の映像を解析したことがあったね。解析結果は153キロから155キロ。当時のピッチャーのストレートで150キロ超えるのは金田と稲尾だけだったらしいから相対的に「速く」感じたっていうのが正解っぽい。170キロの物理スピードは.人間の筋肉構造からは不可能ってらしいよ。
名無しさん
流石に180kmはあり得ないけど長身から球持ちの良いフォームから投げられると体感スピードは相当あったのだろう。大きく割れるカーブとの緩急差も凄かったんだろうし。勿論少なくとも150Km台は出ていたのだろうと思います。現役時代は見た事ないけど過去映像を見るとあまり力感の無いフォームで剛球投手という雰囲気では無いので実際の球筋とか見てみたかった。
名無しさん
さすがに180キロはないようですが、同世代の選手を集めての検証番組では、155キロ位はでていたとの結果だった。
また今年の甲子園でバッターが構えるまえに投げて球審から注意された投手がいたが、金田さんはキャッチャーからの返球を受けたらそのまま投げてたそうで、そのおかげか異常に試合が早く終わるそうだ。
名無しさん
金田正一さんこそ、日本球界にとって空前絶後、不世出の大投手と云えるでしょう。国鉄入団2年目から14年連続20勝以上、15年で353勝という成績は、まさに不滅の金字塔です。稲尾和久さんのシーズン42勝とともに永遠に破られることはないでしょう。本当にお疲れ様でした。心よりご冥福をお祈りします。
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金田の体型は今で言うと少し細身の投手。
当時184センチは大きい方でも今ではプロでごく普通にいる背丈。
180キロはさすがにないでしょ。
それなら山口高志や尾崎は200キロになってしまう。
せいぜい145キロ〜150キロぐらいでしょ、当時の投手は細身で背丈も小さくて球速も出てなかったと考えられるから。
名無しさん
何キロでてたなんて、ある程度映像が残っているから、簡単に分析できるのに、しないのは都市伝説にしておきたいからなんでしょうね。ほかのスポーツの記録を考えれば180kmは記憶の中での話でしょう。


名無しさん
400勝の記録は塗り替えられないよ
ローテーションを無視すれば可能かもしれないけどね
昔は同じピッチャーが毎日投げることはどの球団でもけっこう当たり前だったからな
豪腕投手もいっぱいいた
スピードガンがない時代だけに球速までは分からないけど速かったと思う
あまりにも毎日投げるもんだから「権藤、権藤、また権藤!」なんて言葉もあるくらいだ
いずれにせよ金田さんも凄い人のひとりだよ
名無しさん
村田兆治氏を含め、実際には150キロを大きく上回っていた投手は複数いたかもしれない
ただ、金田氏等昭和の投手のピッチングフォームを今見ると無駄が多く、今の時代では通用しないと思う
名無しさん
さすがに180キロはカネやん流の盛りすぎでしょうけど、物凄い豪速球投手であったことは間違いないですね。
晩年の解説で、ノムさんと西武の森を見て、
「良い足腰している」「相撲したら強そう」
など、若い選手を暖かい目で見ていたのが印象的でした。
名無しさん
ロッテオリオンズ監督時代も人気の無い球団を盛り上げようといろいろなパフォーマンスをやってたみたいだし、セで十分過ぎる功績を残したレジェンドなのにパの発展にも尽力した所が更に偉大に思う。
名無しさん
ドロップと呼ばれる縦に割れる大きなカーブもストレートの体感速度を上げさせていた感じもあるだろうね。ほぼ弱小国鉄時代に勝ち星積み上げて、今時豪快に話す選手もいないし、記録もそうだけど記憶にも十分残る大投手だよね。
名無しさん
「国鉄の天皇」の異名を取り、泣く子も黙る400勝投手。
その言動や行動は、批判を浴びる事もあったけど、日本球界に残る大投手であったと思います。
金田正一さんのご冥福をお祈りいたします。


名無しさん
豪快な反面、足の爪の怪我がないようサンダル禁止とか、監督やればキャンプにルーキーの出身地の味噌と醤油用意したりとか細かい配慮もある人だった。結果のためには手段は選ばないと言えばそれまでなのかも知らんけど、、、ご冥福をお祈り致します。
名無しさん
金田さんが巨人に来て、初キャンプに参加した際、
ミネラルウォーターを大量に持ち込んで、
同僚たちにもすすめたという記事が、
なぜか脳裏に残っています。
少々いい水を金で買うはしりだったのでは。
巨人にきてからは、豪速球投手のイメージはないですね。
名無しさん
いろいろ盛りすぎですね(笑)
昔の事だと何でも言えるからね。
時代時代で凄い選手いたけど、(いるけど)、あまり過剰に称賛するのはどうかと思う。
ただ試合数が今より全然多い時代ではあったみたいですが(ダブルヘッダーとかたくさんあったらしい)、400勝オーバーは凄いですね。
お悔やみ申しあげます。
名無しさん
だんだん話が大きくなる所が金田さんらしいが、400勝は日本球界では二度と破ることのできない不滅の大記録。
血の気が多く退場も多かったが、乱闘時もしっかり利き腕の左手にタオルを巻いて参戦したり、身銭を切って食事やトレーニング器機にあてたりと自己への投資や管理を怠らなかったプロフェッショナル。
名無しさん
江川や小松が148キロとか出していたころは、「金田は155キロは出ていた。」ぐらいだったのだが、大谷や佐々木が163とか出し始めると、「180キロ」に変わってしまう。そのうち、170キロとか出す日本人が出ると、「200キロは出ていた。」と言い出すのだろう。昔の映像を見ていると、一番今より劣っていると思うのはバッターのスイングだと思っていて、スイングが波打ったり、鈍いなというのを感じる。そのスイングと相対的に見た感覚で言えば、180キロということになるだろう。
名無しさん
当時は圧倒的な投手だったのは成績を見ればわかる!
しかし現実的には良くて140キロ程度でしょ。当時の他の投手、打者のレベルが低すぎるから過大評価されるだけ。今なら全盛期だろうとドラフトにすら間違いなくかからないレベル。


名無しさん
球威や球の回転コントロールについては、この時代の投手の方が余程すぐれていると思う。理由は現代の数値重視の練習方法だと思う。今の投手の方がスピードは余程数値が高いが、打ちにくさから言うとこの時代の投手の方が相当上だと思う。
そういう意味ではストレートも130km/h中盤そこそこだったとは思うが、今の160km/hを打つ選手たちがおそらく振り遅れるだろうね。そのスピードの減速予測から確実に外れるからね。要はバッターボックスでの球速が今の投手と変わらないからね。
そこ(球速)をアナクロニズムで例えるのはどうかと思う。それよりプロとして食っていける球威や球の回転を付けるための猛練習をたたえるべきだと思う。ちょっとやそっとではできないはず。
名無しさん
日本野球界の大投手!!金田正一!昔と今では野球が違うと言いますが200勝も大変な時代昔はトレーニンググをはじめ全てにおいて劣っていた時代に400勝と言う金字塔を!!素晴らしいの一言!!これから先も永遠に破られる事のない大記録ですね!!ご冥福をお祈りいたします!
名無しさん
確かタケシにホラ話をふっかけたときに俺は全盛期にゆうに180キロでてたと言ってた、あれは金やんのある種ネタではなかろうか、金やんの晩年しかしらないのでなんとも言えないが、100キロそこそこの小便カーブを投げていた。解説の時はいかに自分が優れているかの言い方、張本とかぶってしまう。しかし江川の全盛期に50年に一人の投手皆さんこの江川の投球を観れる幸せを感じてくださいとその時はあんに自分より上と認めた瞬間だった。
名無しさん
カネヤンの全盛期に近い貴重な映像を見ました。180kmかは分かりませんが、今の投手が投げる150km台よりは明らかに早かったです。ノビとかではなくスピードそのものが。科学的分析が進歩すれば、昔の映像からスピードや回転数も分かるようになるかもですね。夢があります。
名無しさん
400勝って数字は今と比べるのは難しいけれど、その背景には怪我に強かったってのがありますよね。
名無しさん
投球を観たことある人がこの世から居なくなったとしても、沢村と同じでこれからも何十年も語られる伝説の大投手でしょうね。


紅豚
時代の寵児かな。体力面もさることながら投球技術面が当時としては凄かったんだろう。特にカーブに至っては模写出来る投手も居なければ打者が対策したくてもピッチングマシーンが無いような時代では対策も出来なかったのでは無いだろうか。審判も金ヤンに威圧されて有利に働いたんじゃ無いかなと。
名無しさん
金田投手なら180キロもありえた。晩年の巨人時代ならともかくも、国鉄にいた全盛期の絶好調時なら一二度出たかも知れない、、、なんて思わせるまさに伝説的な選手。時代のせいかも知れないが、こういう魅力を持った選手、今のプロ野球にはいないなー。
川蝉
球速180kmは確かに凄いと思うけれど、その球をヒットする打者がいたことには驚く。
名無しさん
素晴らしい投手
400勝という偉大な記録は今後塗り替えられることはないだろう
180キロは」言い過ぎだが、それくらいストレートを早く見せる投球術など技術も卓越していたのだろう
偉大な大投手
お疲れ様でした
100年待てば
180キロとは嘘も凄まじいが、バッターのレベルがグッと低かったのも事実。試合数や環境から考えて体力が凄かったともいうが、いろんなモノが今レベルでの話ではないのでかなりなフェイク、無理がある。
名無しさん
人の揚げ足をとる世の中で、金田さんのような発言ができる人がいないような気がして寂しいです。
記録より、金田正一という人間自体が多くの人の記憶に残ったと思います。
ありがとうございました。

管理人の率直な感想

球界屈指の破天荒な人だったんですね。
今では考えられない事ばかりです。
巨人の星にも出ていたのは驚きでした。

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