プロ野球・金田正一伝説!自ら「ピッチャー金田」「180キロ出ていた」乱闘で助っ人に顔面蹴り…
プロ野球で唯一の400勝を達成するなど史上最高の左腕投手と呼ばれ、ロッテの監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で86歳で死去した。
【金田伝説アラカルト】
【下痢翌日の完全試合】57年8月21日の中日戦は前日に下痢を発症して体調を崩した中で達成。9回1死で相手打者のハーフスイング判定をめぐって中日が抗議し、激高したファンも乱入した。約45分の中断があったが、再開後は打者2人をいずれも空振り三振。中断中にネット裏記者席で「中日の選手は私の大記録にケチをつける気だ」と怒りをぶちまけた。
【米国車】「外車だと事故に強い。中が広いから寝ることもできる」と球界で最も早い時期から米国車に乗り、専用の運転手も雇った。
【引退会見】通算400勝を達成した69年の11月30日に現役引退を表明。会見では長年酷使した左腕を「見てくれ、こんなに曲がってしまって、どうやっても伸びないんだ」と披露した。この場面は漫画「巨人の星」にも描かれている。
【乱闘】監督を務めたロッテの第2次政権時の91年5月19日に、近鉄のジム・トレーバーが内角攻めに激高して大乱闘。暴れて倒れた同助っ人の顔面に蹴りを入れた。また、乱闘では右腕で殴ったり、バットを持って威嚇したことも。90年6月23日の西武戦では審判員に足蹴りをし、退場処分となった。
【名球会会長辞任】会長を務めていた名球会でワンマン運営だという批判が上がり、09年に代表取締役を辞任。
【180キロ?】スピードガンが普及していなかった現役当時の自身の球速について、引退後に「180キロは出ていたんじゃないか」と各メディアで豪語。球が速過ぎ、投本間の距離が短いと疑われたこともあったという。
【自ら「ピッチャー金田」】シーズン19勝で迎えた60年9月30日の中日戦。先発の島谷が、勝利投手の権利がかかる2―0の5回に無死三塁のピンチを招くと、「ワシが行く」と自ら投手交代を審判に告げ、そのまま投げきり、10年連続で20勝目を手にした。結局、島谷はプロ6年間、通算0勝で現役を終えた。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191007-00000047-spnannex-base
ネットの声
ロッテの監督時代に幾度となく退場を命じられたし、相手監督や選手に対しても暴言を吐いたり乱闘を仕掛けたりと、今じゃ考えられない程の熱い男だと思う。
選手時代は、カーブとストレートだけで良くも400勝を達成し、やはり長嶋との開幕4打席4三振はすごかった。プロの厳しさを教えてやった。あの闘志は本当に凄い物があった。
日本球界では絶対に破れない記録の一つである400勝は無理だと思う。今じゃ規定投球回数をクリアしたパ・リーグの投手は6人しかいない状態では絶対に400勝は無理。それほどまでに凄い投手だったという事だろうな。
ちなみに、今年の最多勝はセパ共に15勝。これを27年続けないと400勝にはならない。高卒の投手が山本昌投手位になるまで15勝を続けないとこの記録は破れない。この記録は王選手と共に破られないだろうな。
親や幼い兄弟達ちの生活を養い、弟達を大学まで進学させている。
なかなか出来るものではない。
背負っているものが違っていた。
それも金田氏の原動力になっていたの間違いないと思う。
だから練習も他の選手達の倍はしていたというし、王や長嶋も見習うほどの練習量だったらしい。
野村氏に、一番よく走っていた選手だったと言わしめるほどである。
タダ体格に恵まれていただけの人ではなかった。
また練習だけではなく、食事面や身体のケアにも力を入れていたという。
もし、自分に何かあると、家族を路頭に迷わせてしまうと言って、健康管理にはお金を費やし注意を払っていたという。
野球人として本当に素晴らしい成績だと思う。
400勝の記録は、投球制限をしている現在では、もうどんな投手であっても、それを抜くことは不可能だろう。
巨星がまた一人去って寂しい限りだ。
ピンチが来たり、チャンスが来たら手を上げていく人が多そう。
監督時代しか知らないけど、小さいながら頭に残っているのは、審判に抗議している金田さんでした。
ただ、落差の激しい独特のカープがあったので、その緩急の違いで、速球がより速く見えたのではないかと思います。それとあの時代にしては凄く大柄な方ですからね。ピッチャーズプレートが近く見えて威圧感もあったことでしょう。
色々なエピソードに事欠かない方でしたが、記録と記憶、両方が残る大投手であったことは確かだと思います。
60代では金田さんの晩年だから何が180キロなのかは分からないけど
長島選手の4連続三振を何度もVTRで見るけど
全てにおいてふり遅れている。相当な急速だと言うことはよくわかる。
よく今の投手と比較されるけど、急速はスピードガンとはまた違う。
それが所謂球威だと思う。140キロ台のスピードでも振り遅れる
逆に150を投げてもポンポン当てられる投手もいる。
自分はロッテ時代の監督のイメージしかありませんが
その中でもハイライトが当時ドラフトの大スター小池投手。
意中の球団は巨人を初めとした球団だったと思うし
本人も多くの球団から指名されて大満足だったが、くじ引きの結果・・
ロッテ小池。その瞬間金やんは満面の笑みでよっしゃー
そして笑顔から一転奈落の底に突き落とされた青ざめた小池選手。
今でも忘れることができない、名シーンだと思う。
180キロはあり得ないと思いますが、伝説は伝説でこれからもそうであって欲しいと思います。今後100年嫌、将来400勝投手何て出ませんからね。
金やん今までありがとう。
そして安らかに合掌
色々な理論の時を過ごして来て
今の技術や理論が有ると思うよ。
だから、今の技術や理論での野球と
当時の野球での記録を、比較する事に
無理があると思う。
鶏が先か?卵が先か?
金田さんや、王さんが今の時期に現役なら
今の技術や理論を必死に、考えて野球に
向き合っているんじゃないかな。
よく、日本の戦争を責める人がいるけど
その時の世界情勢や、道徳観で起きて
反省した後の教育、道徳観で遡って
過去の過ちを裁こうとする、人がいる。
過去の栄光を、現代の理論で評価するのは
ちょっと酷だと思う。
無事これ名馬ですね。
決して強くないスワローズでの勝ち星が多いことも立派だと思います。
乱闘の場面がよくVTRでも目にしますが、金田さんの場合、なぜか笑えるのも、この人の実績と豪快な人柄なのだと思う。
野球界の発展に大きく貢献された昭和の偉大な選手が亡くなられ、
寂しく思います。
ご冥福をお祈りいたします。
当時では特に珍しいサウスポーに長身のオーバーハンドで角度もあるとなれば、打者は相当球を見辛く、打ち損じも多かったのだろう。
実際は140キロ後半(この球速でも当時ではかなり速かった)ではないのかと推測しますが、打者は、その10キロ以上を体感していたのではないのでしょうか?
星がプロ入り後、軽い球質(あんな極端なことはあり得ないらしいが)でメッタ打ちに遭い、金田に「変化球を教えてください」と頼みに行くと、金田は「ワシが若かったら自分独自の変化球を編み出す」と言って断ったことにより星は魔球の開発にとりかかり、完成した魔球に「大リーグボール1号」と命名したのも(そもそもネーミングが安易なのとアレが変化球か?という疑問はあったが)金田だった。
原作の梶原一騎はあまり野球が得意じゃなかったと聞くが、金田氏と親交があったのだろうか?また金田氏はあの設定をどう思っていたのだろうか?と疑問が残っている。
今では常識かもしれないが、それを1950年代からやっていたのがすごい。
もし今の時代に金田氏が現れたら、最新のトレーニングとコンディション調整法を導入して、誰よりも強靭な肉体を手に入れて今の時代でも大活躍していると思う。
20勝がかかってるからって「投手は俺だー!」って出てったり
そういう、今ではありえない事もあったんだろうし。
過去の映像を見てると特段、球が速かったようには見えない。
むしろ阪神の村山なんかは球が速いのが映像でも確認できるし
過去の証言からしても東映の尾崎はもっと速かったのだろう。
(金田が180kmなら村山は190km?尾崎は200kmか?)
王や長嶋も「長嶋さんが言うなら、これはボールだろう」って
審判が忖度した「王ボール」「長嶋ボール」もあったという。
現代の尺度で彼らを測っても上手くは行かないと思うよ。
当時は清濁合わせた面白さがあったのだろうから、
「清いだけ」の部分で断定しても実態は得られない。
逆を言えばそのくらいないと名選手にはなれないということだろう。
色々あったけどマスコミを敵に回したことは無い。気配りはしっかりしてんだと思います。
長身から投げ下ろす、ドロップ(スローカーブ)との緩急で、打者としては160km以上と感じていたのは間違いないと思います。
主に120km台のストレートにスローカーブ、フォークを織り交ぜ、通算176勝を達成した星野伸之氏の緩急自在の投球で、ストレートが、158kmを投げた伊良部投手よりも早く感じたという方もいるくらい、緩急というのはボールを早く見せるうえで重要な要素となります。
永遠に破られることがない不屈の記録を作ったのは間違いないです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
って処に来ちゃったしな。あれはおもろかった。そんな時代ですよ。
今じゃ大炎上でしょうけど。
肘もそりゃそうなるよな。あれだけ投げれば。それでも勝ってしまう
鉄腕ぶりで根性も座っていたという物でしょ。現役知らずの
映像世代だけど凄いなと思うものですよ。
流石に180キロは出てないと思うけど映像解析すると平均速度で
160キロは出ているんじゃないかなとは思う。
当時の映像検証するとやはり0.4秒ほどで打者に到達している。
っていう事は初速のスピードガンが拾うタイミングによっては
もうちょっと速くてもおかしくないのかなと。
その辺は東大の研究チームの方がより正確にやってくれるでしょうけど。
沢村さんにしても金やんにしても凄い奴は昔から凄かったという事だろ。
長い日本の球史にもそういう英傑が登場してるという事。
しかし400勝は桁違いだな。
コメンテーターとしてもわからないことはきっぱり「わからん」と言うし、根性や勝気など昔の人の良いところはそのままに柔軟さもある人だったと思う。
現役選手や現役コーチ、コメンテーターも彼の姿勢から学ぶところはいまだに存分にあると思う
現実的に金田は、戦中戦後の食糧事情で育った人間なので、絶対的なスピードは150キロに届くかどうかだったと思う。
打者もそれなりの体だったので、スイングスピードも速くなかったはずだ。
スピードガンが出たころ、150キロ投げた中日の小松の速さに驚いた。
江川が巨人に入団して間もないころ、完投して9回に150キロ投げてた。
清原は、ロッテの伊良部の157キロをホームランしている。
絶対的なスピード165キロを持つ大谷は、渡米する前160キロ超の球でもヒットを打たれている。
今は1軍のピッチャーなら3分の1位は150キロ投げるんじゃないか。
球が速いと言うのはバッターとの相対的なもので、金田の絶対スピードは150キロ出てたかどうかだと思う。
ただ球速においては、投球イニング数に対する奪三振数を見れば一目瞭然で、あの当時のレベルのバッター相手の数字からしてマックス140km/hでしょう。
1955年シーズン、400イニングに対して350奪三振。
現役を通じて奪三振数がイニング数を上回ったのは、1959年の1回だけ。
一流の剛速球投手は、100%イニング数より奪三振数が上回ります。
400勝なんて、この先抜ける人は居ないと断言できる記録だと思います。
安らかにお眠り下さい、そして、お疲れ様でした。
確か、カレはステップでかなり前に出て投げるコトを意識していたハズ。調子悪い時ほど50センチ~1メートル前に出てリリースしてたと裏話的に言ってた。
金田さんの成績は今の球界では無理。
破天荒な人物が再び現れるのは現実的。
今のプロ野球は紳士的すぎて熱さが足りない。
人間がそこまで投げる事が可能な生物だったら、今の投手は180キロ投げているだろう。
金田投手が結果出せたのは、やっぱりカーブじゃないのか?
と、それを出来る体があったからだろうな。
国鉄だけに、金田さんは車両で言えば151系ですかね?
今のN700系のように速くはないですが、当時は最速でしたし、歴史に残る名車、その後の鉄道の向上に大きく貢献されたと思います
ご冥福をお祈りいたします
手の指先のケガ防止のためにヒゲを剃るときは電気カミソリを使用。
足指のケガ防止のためにサンダルや下駄は履かなかった。
車に乗るときは左手を守るために必ず右側の席に座った。
血の気が多いようで実はかなり細やかな人なんですよね。
また今年の甲子園でバッターが構えるまえに投げて球審から注意された投手がいたが、金田さんはキャッチャーからの返球を受けたらそのまま投げてたそうで、そのおかげか異常に試合が早く終わるそうだ。
当時184センチは大きい方でも今ではプロでごく普通にいる背丈。
180キロはさすがにないでしょ。
それなら山口高志や尾崎は200キロになってしまう。
せいぜい145キロ〜150キロぐらいでしょ、当時の投手は細身で背丈も小さくて球速も出てなかったと考えられるから。
ローテーションを無視すれば可能かもしれないけどね
昔は同じピッチャーが毎日投げることはどの球団でもけっこう当たり前だったからな
豪腕投手もいっぱいいた
スピードガンがない時代だけに球速までは分からないけど速かったと思う
あまりにも毎日投げるもんだから「権藤、権藤、また権藤!」なんて言葉もあるくらいだ
いずれにせよ金田さんも凄い人のひとりだよ
ただ、金田氏等昭和の投手のピッチングフォームを今見ると無駄が多く、今の時代では通用しないと思う
晩年の解説で、ノムさんと西武の森を見て、
「良い足腰している」「相撲したら強そう」
など、若い選手を暖かい目で見ていたのが印象的でした。
その言動や行動は、批判を浴びる事もあったけど、日本球界に残る大投手であったと思います。
金田正一さんのご冥福をお祈りいたします。
ミネラルウォーターを大量に持ち込んで、
同僚たちにもすすめたという記事が、
なぜか脳裏に残っています。
少々いい水を金で買うはしりだったのでは。
巨人にきてからは、豪速球投手のイメージはないですね。
昔の事だと何でも言えるからね。
時代時代で凄い選手いたけど、(いるけど)、あまり過剰に称賛するのはどうかと思う。
ただ試合数が今より全然多い時代ではあったみたいですが(ダブルヘッダーとかたくさんあったらしい)、400勝オーバーは凄いですね。
お悔やみ申しあげます。
血の気が多く退場も多かったが、乱闘時もしっかり利き腕の左手にタオルを巻いて参戦したり、身銭を切って食事やトレーニング器機にあてたりと自己への投資や管理を怠らなかったプロフェッショナル。
しかし現実的には良くて140キロ程度でしょ。当時の他の投手、打者のレベルが低すぎるから過大評価されるだけ。今なら全盛期だろうとドラフトにすら間違いなくかからないレベル。
そういう意味ではストレートも130km/h中盤そこそこだったとは思うが、今の160km/hを打つ選手たちがおそらく振り遅れるだろうね。そのスピードの減速予測から確実に外れるからね。要はバッターボックスでの球速が今の投手と変わらないからね。
そこ(球速)をアナクロニズムで例えるのはどうかと思う。それよりプロとして食っていける球威や球の回転を付けるための猛練習をたたえるべきだと思う。ちょっとやそっとではできないはず。
400勝という偉大な記録は今後塗り替えられることはないだろう
180キロは」言い過ぎだが、それくらいストレートを早く見せる投球術など技術も卓越していたのだろう
偉大な大投手
お疲れ様でした
記録より、金田正一という人間自体が多くの人の記憶に残ったと思います。
ありがとうございました。
管理人の率直な感想
球界屈指の破天荒な人だったんですね。
今では考えられない事ばかりです。
巨人の星にも出ていたのは驚きでした。
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