「平成の怪物」松坂大輔が現役引退… 治療に専念も右手のしびれ抜けず 日米通算170勝  

スポンサーリンク
スポンサーリンク

 

 

「平成の怪物」松坂大輔が現役引退… 治療に専念も右手のしびれ抜けず 日米通算170勝

西武の松坂大輔投手(40)が今季限りでの現役引退を決断したことが6日、分かった。この日までに球団に意向を伝えた。昨年から古巣の西武に復帰も同年7月5日に「脊椎内視鏡頸椎(けいつい)手術」を受け、その後は1、2軍ともに登板なし。現在は練習も行っていない。日米通算170勝を挙げて日本のエースとして君臨した「平成の怪物」が、23年間の現役生活に静かに幕を閉じる。

右手のしびれは最後まで抜けなかった。これまで何度も大きな手術を乗り越えてきた松坂だったが、昨年7月5日の手術から1年が経過し、決断した。渡辺久信GMに引退の意向を伝え、了承された。近い関係者には「右手の指の感覚がない。これ以上、チームに迷惑をかけることはできない」と話している。

西武に復帰した昨年の7月5日に「脊椎内視鏡頸椎手術」を受け、復活をかけた今季。3月21日に初めてブルペン入りし、4月末には打撃投手を務める計画を話し合うなど、おぼろげながら復帰への道のりが見えていた。しかし5月上旬のブルペン投球で打者は立っていなかったが、右手中指の感覚がないまま、球が右打者の頭部付近に抜ける症状が出た。この1球が決断への引き金となったことは想像に難くない。5月中旬以降は練習から離れ、治療に専念していた。

投手の生命線ともいえる右手の指の感覚がない状態でも復帰の道を探った。それは「応援してくれるファン、そしてリハビリを支援してくれている球団の方々がいる。必ずマウンドに立つ」との強い思いからだった。

横浜高3年の98年に春夏連覇を果たし、夏の甲子園の準々決勝、PL学園戦で延長17回、250球を投げ抜き、決勝の京都成章戦でノーヒットノーランを達成した。西武では入団1年目に16勝を挙げ最多勝に輝くなど「平成の怪物」と呼ばれた。06年オフ、ポスティングシステムでは史上最高額の約5111万ドル(当時約60億円)での入札額でレッドソックスへ移籍。1年目には15勝を挙げ、ワールドシリーズ制覇に貢献した。シドニー、アテネ両五輪に出場し、WBCでは第1回、第2回大会で連続MVPとなり、連覇へ貢献するなど日本のエースとして球界を引っ張った。だが11年の右肘のトミー・ジョン手術以降は故障の連続だった。

「自信から確信に変わった」や「リベンジ」など数々の名言も残した。引退後の活動については未定で、東京五輪やシーズン途中のチームに考慮し、引退会見も後日の運びとなるもようだ。1980年度生まれは松坂世代と呼ばれた。その象徴がユニホームを脱ぐ。

◇松坂 大輔(まつざか・だいすけ)1980年(昭55)9月13日生まれ、東京都出身の40歳。横浜では3年時に甲子園春夏連覇。98年ドラフト1位で西武入団。1年目に16勝で新人王、最多勝に輝いた。01年に沢村賞受賞。07年にレッドソックスに移籍し、同年にワールドシリーズ制覇。インディアンス、メッツを経て、15年にソフトバンクで日本球界復帰。18年に中日に移籍し、6勝を挙げてカムバック賞。20年に西武に復帰した。日米通算成績は376試合に登板、170勝108敗2セーブ、防御率3・53。1メートル82、92キロ、右投げ右打ち。

参照元:https://news.yahoo.co.jp/articles/0712960b4597d5e780060ebb7dd4ad36f7c5b60d

ネットの声

豊中
晩年はいろいろと言われましたが、甲子園決勝でのノーヒットノーランやWBCでの2大会連続MVPなど全盛期は並の選手ではなくスーパースターでしたね。
松坂さんが登板する試合はなんだかんだで注目されましたし。
長い間、お疲れ様でした。
名無しさん
PL学園との死闘、そして決勝の京都成章戦でのノーヒットノーラン。
高卒一年目での最多勝。日本のエースとしてのWBCでの勇姿。
全てが伝説でした。
楽しませてくれてありがとう!
これからは体を労ってあげてください。
名無しさん
正直、引退は遅すぎた。この数年、一軍でまとまに投げていないのに、彼には数億の金が入っている。生涯資産は十分あるだろう。
才能ある投手でもいずれ終わりがくる。才能ある若手に登板の機会を与えるのが、名投手の引き際だったと思う。
名無しさん
よくここまで頑張ったと思うが、ソフトバンク時代の4年間は全くのムダだったと思う。
あの時から最終的には古巣西武ライオンズで引退する予想は付いていたが、福岡に来る必要は無かった。単なる小遣い稼ぎに来ただけに思えた。
少なくとも当時もらっていた年俸分の活躍は全くしていなかった。
メジャー前とメジャー時代の活躍があの4年間で霞んでしまったと思う。
名無しさん
日本球界に復帰した時ビートたけしさんが「あんなに太っていてプロで通用するわけがない。」と言っていましたが残念ながらその通りになりましたね。中日ドラゴンズでの勝ち星は野球の神様がくれたそれまでの功績に対するご褒美だったと思います。中日ドラゴンズで清く引退するべきでした。晩節を汚しましたね。
名無しさん
長い現役生活お疲れ様でした。
野球少年だった頃、とても興奮させられました。98年夏の甲子園は伝説。
高卒ルーキーでの活躍は素晴らしかった。
しかし、退き際を見誤った感はある。
メジャー最終年の2014年シーズン限りで引退していた方が綺麗な引退だったと思う。
晩年の松坂大輔を見ていていかに体型維持がプロ野球選手にとって大切かが分かった。
練習嫌いを公言していたり、WBCの時にイチローに深いところで舐めてやっていると見透かされていた辺りが、才能だけで野球をやってしまっていたんだなぁと感じた。
節制と練習に力を入れていたら、メジャーの舞台で今のダルビッシュ以上の活躍が出来ていた選手だと思う。
あとは、、、やっぱり結婚相手って慎重に選ばなきゃね。


名無しさん
しびれは日常生活にも支障出るだろうし無理はしないでここで身を引くのも良い判断だと思う。
体調は本人にしか分からないけどけどここ数年は当番機会がないこともそうだけど、それ以上に太り過ぎでイメージが悪かった。
TJ手術のリハビリ期間中に大幅にビルドアップしたダルビッシュや大谷と違い、ただ太ってしまった松坂は残念だった。
たらこ
高校時代からプロ、メジャーまで日本球界にたくさんの功績を残してきたと思う。
長い現役生活で体はずいぶんとボロボロになり晩年は技巧派になってまでも投げる姿をファンに見せてくれた。
松坂が現役を退くということは個人的にはものすごい寂しいですが第二の人生でも偉大なことを成し遂げてほしい。
caramba
実質、松坂は帰国前のレッドソックス時代で終わっていた。帰国後は、名声を十分に活用して、”有名税”で、最後の荒稼ぎをした。特に、ソフバン時代の契約で、十分美味しい思いをしただろう。批判にも負けず、最後まで厚かましく稼ぎ切ったところは、元・メジャーリーガーらしく、メンタルの強さを感じた。
名無しさん
いろいろと言われたけど、松坂は間違いなく一つの時代を作った選手。
甲子園で延長17回を一人で投げ切り、決勝でノーノーとか、プロに入っていきなり16勝とか沢村賞なんて分業制が進んだ今ならもう出てこないでしょう。最後まで一人で投げ切ることが出来るって本当に凄いことだよ。
本当にお疲れ様でした。
名無しさん
引き際にもいろいろある、という話では球児や上原と対極の去り方。
暖かいコメントが多いが、日本に復帰してからは、がむしゃらな姿勢も垣間見えず、若手にいろいろ伝授するなどして慕われてる様子もあまりなく、周知の通り戦績も乏しく、ここまで現役を引っ張ってしまった事で得たものは多くないと思う。
名無しさん
業績はすごいと思うけど、この人のワガママ行動は見てると人間的に疑ってしまうところがあった。
節度ある行動が出来る人なら、もっと凄かったと思うのに。。。
業績と人間性が比例しなかったところが残念かな。


※※※t※※※k※※※
甲子園の出来すぎのストーリー、入団していきなり最多勝。メジャー挑戦。
大谷が出てくるまでは、松坂こそ野球漫画の主人公のようなストーリーだった…
最後にもう一度、甲子園で投げる松坂大輔を見たかった…
同じ時代で、リアルタイムで観させてくれて、夢をありがとう。
名無しさん
日本に戻って来てからは全く駄目な選手に成り下がった。以前の姿を知ってる者として残念でならない。アメリカから帰国する前か直ぐ後に引退していれば伝説の投手と成れたかも知れない。
今では野球解説者や監督は厳しいし、せいぜいコーチに成れるかどうか。情けない末期を見せられた現役選手が、仮に松坂がコーチとなっても軽く見られてしまい指導出来るかどうか疑問だ。
名無しさん
何度も思うが、人との出逢いの大切さを痛感する。もし、松坂が別の伴侶を持ったなら…まだメジャーだったかも、ね。
最後はマウンドで、と思うが厳しいか。それでも1球で良いから、姿を見せて終わって欲しい。
あまね
同い年。甲子園や西武、WBCでの活躍は眩しい限りだったが、個人的には若いときよりも年齢が上がってかつてのような怪物ぶりが影を潜めてしまってからのほうが、なぜか親近感が強くなった。
奥さんとの関係はこれからどうなるんだろうか。あの人がちゃんとそばで支えてくれる妻だったら、もう少し違う引退のありかたもあったんじゃないかと思うところはある。
w*_*azashi
自分は松坂否定派です。
彼の天分ならもっともっと勝てたはずと思うので。
しかし、若くして何十億もの金を手にしてしまったら野心はなくなって当然かも。
西武球場に屋根を付けた功労者でもあるし、お疲れ様と言いたい。
名無しさん
私は松坂世代の同級生。
甲子園目指して大阪の強豪校に進学し
練習試合で松坂と一度対戦して
衝撃を受けたのを思い出した。
松坂世代と言われる松坂が引退。
ソフトバンクの和田には長く頑張って欲しい。
松坂世代代表として和田を応援したい。


名無しさん
甲子園や西武での活躍が霞むほど晩節を汚した稀有な選手でした
まあ元々練習嫌いだったみたいし、プロとして長く持ったほうかと思います
にしてもメジャー行って初めは良かったですが、あの太り方を見て正直ガッカリしたし、案の定すぐに日本に戻って来てソフトバンクでの体たらくを見て更にガッカリしました
ソフトバンクで引退すべきでした
名無しさん
長きに渡る現役生活、お疲れ様でした。
私は、ドラゴンズファンなので中日での初年度のプレーに関しては、応援してしていました。
彼のプロとしての変遷を振り返ると、デビュー以降メジャーまで超一流の活躍だったが、ソフトバンクでの3シーズンが年俸に見合った活躍が出来なかったことで大きくイメージ的評価を下げた。
ドラゴンズでの2年目も、キャンプ前の肩の負傷は不運だったが、練習日にゴルフ休暇が発覚するなど、プロの自覚を疑いたくなる姿がとてもファンとして残念だった。
西武で花道を飾りたかったのだろうが、そもそも体が限界だったのだろう。
活躍に見合った年俸なら、好感度が良かったかもしれないが100%純正に応援したい気持ちなれない引っかかる部分があったのも個人的には感じます。
プロとしてのストイックさが無かったのだろうと思います。長くできたかは別としてそれがあれば、才能上もっと良い成績が残せたと思います。
名無しさん
素晴らしい功績を残した事に対しては素直に素晴らしいと思うし、晩年は理想の自分を求めて戻そうもがいて頑張ったと言う点ではようやく解放されるのかなと思うとありがとうございましたと言う気持ちはある。
ただ、個人的にはソフバン以降若手に何かを教えて道を終えて欲しかったと言うのがあるだけに晩節を汚した感があるのは残念ではあるね。
ぱおんぱおぱお
まあ近年の状況や成績を見ているとしょうがないね、潮時ですよね。
確かに高校からプロに入ってアメリカに行くまではすごく良かったです。アメリカ行って体を大きくした頃からいろんなことがおかしくなってきたような気がするので、結果論では松坂さんの場合アメリカに行ったことが失敗だったのかもしれないですね。
でもしっかり大リーグの年金の権利も持ってるみたいですし、人生としてはアメリカに行ったことはよかったのだろうと思います。いろんな経験も知り合いもできましたしね。
名無しさん
若い頃は名投手であったのは間違いない。
日本の球史に名を残す選手だとは思います。
しかしながら、引き際を見誤った感は有りますね。
もっと早くに、後進の育成に努めるようなポジションに移るべきでした。
現役引退が遅すぎたと思います。
名無しさん
メジャーに行く前とメジャーから帰ってきた後でここまで印象が違う選手もなかなかいない。
高校時代も含めたメジャーに行く前は紛れもないスーパースターだった。
高卒1年目であれだけ鮮烈な活躍をした選手は見たことがないというぐらい凄くてカッコよかった。
メジャーから帰ってきた後は中日で1年だけプチ復活した以外はいつもケガやリハビリばかりで投げる姿すらめったに見られなかったけど、一つの時代を作った偉大な投手だったのは間違いない。
古巣の西武で一試合も投げられなかったのは無念だっただろうな。


名無しさん
本来、もっと前に決断しているべきだったと思うがお疲れ様でした
成功体験が決断を遅らせ足掻いたのだと思う
全盛期は本当に才能に恵まれていたが節制出来ず、体重増加が顕著になり出してから故障が増えフォームも崩れて徐々に恵まれた才能を錆びつかせた印象がある
メジャーでの松坂は既に日本球界時代とは別物になっていた
肉体改造で体を大きくする選手はいるが筋量を増やすのとただ目方を増やすのとは全然違うし直ぐに判るからな
あの『腹回り』を見る度に寂しい気持ちになったのを覚えている
精進、研鑽を怠ると輝きは短くなるという前例を示した事は彼とイチローを対比しながら後進の選手達の教訓になればと思う
dokechi
ボストンの金遣いが荒いヨメと結婚したのが間違いだったかも。
本来なら家族が支援するべきなのに、ヨメがボストンで自由に豪遊したいから、
単身赴任で日本に行かせるとか、さすがに異常過ぎる。
ようやく引退させてもらえて、本当に良かった。
結果を残せないのに、ユニホームを脱げなかった本人が一番辛かったと思います、
ゆっくり体を労わってあげてください。
名無しさん
松坂が高2の秋、県大会の準決勝でナマの投球を初めて見た。物理的にはあり得ないだろうが、その直球は本当にホップして見えた。凄い投手だった。でも印象的なのは、春夏連覇の後、能見台駅から乗車した松坂と偶然に出くわしたとき。松坂だ、と凝視した失礼な大人に、ニコリと人懐こい微笑を返してきたこと。スターとは、こういう人物を指すのかと妙に感心した。
名無しさん
晩年は太り気味だったような…。
高校時代の肩から肘にかけてのしなやかな腕の振りが、メジャーの晩年から日本復帰以後、
担ぎ投げのようになってしまった。
肩回り+首周りに無駄な?贅肉がついて、スムーズな回転を阻害してた。
故障のせいかもしれないが、投球ごとに首を持っていかれるような不必要かつ不自然な
ヒネリ(ブレ)が、投球軸のズレ・疲労の蓄積・視線のズレ・コントロールの悪化など、
悪影響を及ぼしていた。
もう一度身体を絞っての、プロ1年目の片岡を三振に切って取ったストレートを見たかった。
名無しさん
松坂が横浜高校で春夏連覇した時に中3でした。当時私も野球少年だったのでテレビに釘付けで来年からは150キロ投げるピッチャーと対戦できる可能性があるのかあとワクワクしながら見ていました。
あの年の甲子園は松坂はもちろん、和田、村田、杉内、新垣、久保康友、稀哲、藤川球児、東出とか後の各球団の主力選手になる選手が多くてかなりレベルが高い年でしたね。
そんな中、松坂は高卒1年目からエース級の活躍で他にも高卒で田中マー君とか、藤浪とか1年目から二桁勝った投手はおるけど高卒1年目での完成度の高さは群を抜いていたと思います。
松坂世代も残るは和田だけですか。どおりで俺もおっさんになったわけだ。
名無しさん
甲子園春夏優勝、NPB、メジャーでの初めの2年くらいまでとその間の2回のWBCでは本当に輝かしい戦績を残してきた。
しかし、メジャー晩年からNPB復帰し現在まではグダグダな生活で当時の輝かしい戦績が全て帳消しにしてしまうくらい汚してしまった。
汚したからといってもメジャー初期までの戦績は記録や記録に残ったことは間違いない。
引退が遅かったのではないか、、色々思うところはあるが、今はおつかれさまと言いたい。
今後は、中日、西武、特にソフトバンクでコーチなり何かを求められたら、その時は他球団での条件が勝っててもそちらを優先して受けてもらいたい。
せめて、現役時で貢献できなかったことを改めて貢献してもらいたい。
それが最低限の礼儀であり恩返しだと思う。


名無しさん
まずはお疲れ様でした。
ただ、甲子園、西武時代の功績もメジャーから帰国後のあまりにも怠慢なニュースにかき消されるくらいひどかったと思う。
もっと前に辞めておけばスターのままだったのにね。
思えば路駐替え玉から、あの奧さんと出会ってからイメージが悪くなりすぎた。
もう少し松坂の事を考えてくれる人なら晩節を汚さず済んだのかな。
大谷や佐々木朗希は大丈夫だと思うけど、人の出会いで人生は変わるんだな。
名無しさん
高校野球時代から平成の怪物を見てきたけど全盛期は本当に良い投手だった。
奥さんの協力がもっとあれば、晩年もう少し良い成績を残せたのかもな~。
プロ野球選手の奥さん選びは本当に大事だなと思った選手だわ。
ひとまずお疲れさまでした。
名無しさん
長い人生を安定して過ごすには、才能とは別に体の休め方、奥さんの選び方、酒の飲み方をしっかり学ぶ必要があるとあらためて思った。オオタニサンは大丈夫かな。
西武時代はしなやかなフォームが好きで応援していたが、渡米後はWBCの時にはすでに太っていて、下半身が沈まなくなっていたし、奥さんの手料理を食べていないんだろうなという気がしていた。
若いときから投げ込みで肩を作るといってビュンビュン投げ込んでいたけど、こんな人がコーチになるとちょっと心配だ。
名無しさん
松坂投手の高3夏の甲子園をテレビで見ながら、大学受験の勉強をしていたのがついこの前のようですが、はや40歳。
同級生にはいろいろスター俳優や女優もいますが、松坂世代と言われる我々の一番は松坂投手です。
お疲れ様でした。
名無しさん
高校、西武、メジャーの頃は凄かった。
確かに「怪物」と言われるだけあった。
日本に戻ってきてからは「一体何試合投げた?年棒いくらよ!一球いくら?この人、1試合幾らで良いのでは?」「えっ?又、違う球団行くの?」と思う程、しがみついていた様に思います。スターだっただけに残念な終わり方だと思います。御本人が1番辛かったのでしょうが、日本に来てからの結果が全く出ず、決断が遅かった様に思います(素人が生意気言って申し訳ないです)。
長きにわたる野球人生、お疲れ様でした。
名無しさん
色々と言う人はいるけど、
松坂大輔を、横浜高校を倒すために努力した人は多いと思うし、
逆に敵わないと思って、野球を諦めた人は多いと思います。
間違いなく野球史の一時代の筆頭にいた投手だと思います。


名無しさん
個人的には松坂はWBCでの活躍が記憶に残ってます。
松坂世代と言われるように野球界に名を残すスター選手であることは間違いない。
でも日本に戻ってきて高額年俸に見合う成績を出せていなかったのに
ズルズル現役を続けてきたのは印象良くない。
偉大な選手だっただけに引き際は悪かったと言わざるを得ない。
名無しさん
晩年は中日時代に復活の兆しはあったけどそれ以外は厳しかったですが、間違いなく一時代を築いた功労者でしたね。最後に思い入れのある西武で終われた事は良かったと思う。
名無しさん
松坂の全盛期に江川が解説で「あまり落ちる球に頼り過ぎると、将来的にフォームのバランスが崩れていくのではないか。落とすことに意識が行き過ぎると、膝の割れが更に酷くなるし、腕の振りも悪くなるし、膝の位置も下がって故障するリスクも高まってしまう。あれだけの真っ直ぐとスライダーがあるのだから、それを更に磨いていけば良いと思うんですけどね。そうすれば、膝の割れもなくなり、もっと体重が乗ったボールが投げられると思うんですけど」と言った時には、そんなに難癖つけなくてもと思っていたけど、股関節故障からの肘そして首の故障という危惧の通りの結末になっしまったことに改めて驚いている。その点和田はスライダーとストレートに磨きをかけて、致命的な故障も余りなく、松坂世代でただ一人奮闘している。あの時の苦言を受け入れていたら、現役200勝投手になれたかもしれなかっと思うと残念な思い。まずは身体をしっかりと休めてほしい。
名無しさん
WBCで2度の世界一に輝いた時の立役者。日本球界の歴史に名を残す名投手。晩年の不甲斐ない状況はあったが、高校時代を含めて誰もが記憶に刻むストーリーの中心にいた。もし、彼が高校時代から酷使されずに大切に育てられたら、どんな成績を残しただろうと思う反面、あの活躍があったからこそ、松坂を唯一無二の存在にしたのだと思う気持ちもある。投げたいのに投げられない気持ちの中で相当苦しんだであろうことは想像できる。頂点を知り、同時にどん底も見た経験が今後にどう生きるのか。人生の第2幕の歩みにも注目したい。
名無しさん
長年の功績、お疲れ様でした。
まあ色々あった選手だったな。
色んなコメントがあるが、過去の実績に関しては申し分ない。
ただ、晩年の凋落は本当に酷かった、酷過ぎた。
個人的に感じたことは、野球(仕事)を舐めていたなと。
これはあながち間違いではないと言える。
才能があり、若い頃からあれだけ活躍すれば仕方ないのかな。
ここ数年の故障具合やあの体型、投球フォームを見て、本人もそして獲得したチームもプロ(1軍)のレベルで通用すると思ったことがそもそもの始まり。
素人目で見ても明らか。
正直、客寄せパンダにしたかったのだろう。
名無しさん
少年野球の時に西武ライオンズ主催の野球教室に参加して、翌日のスポーツ新聞の一面にご一緒できたことはいい思い出です。握手をしてもらったことも。あれから20年ほど経ったんですね。投げ終わった後に右足がももあげのように持ち上がるフォーム、真似してました。笑
引退を決意するには色々と葛藤があったと思います。200勝いくまで辞められない、ファンの期待を裏切るわけにはいかない…。
ただ1つ言えるのは、間違いなく野球史に残る選手だったということです。
こんなに実績あっても人間性が変わらないところが凄いと同世代の仲間が言っていたのは印象的でした。中々できないことだと思います。
引退前に片岡かイチローとの対戦を観てみたいですね。本当にお疲れ様でした!


名無しさん
松坂にはWBCやMLBで日本人投手のレベルの高さを示してもらった。
日本人として非常に誇らしかった。
200勝に届かないのは残念であるが鮮烈な記憶と共に、これからも語り継がれる大投手だったことに変わりはない。
松坂だけではなく、ダルビッシュや大谷など日本の投手は故障してメスを入れた者も少なくない。
日本球界でも昨今、昔とは異なり球数の多さ、連投などを賞賛する雰囲気は無くなりつつある。
指導者、球団、指揮官等は、選手が思い描くスタイルで長くプレーできるよう配慮して育成、マネジメントをしていってほしい。
名無しさん
現役お疲れ様でした。と言いたいところではありますが、本当はもう何年も前に実質引退状態。今年は、2軍練習にも姿を見せていないとか…将来ある若手に指導できたのでは?リハビリにそう何時間も費やさないですよね?イチロー選手が言っていました。「お前練習しろよ」と。松坂選手は言っていました。「横浜高校の方が練習がきつい」と。自分で練習を課すのがプロ野球です。太った姿を見ると、誰かに管理されないとダメな人なんでしょうね。
名無しさん
ホークス歴は無かったも同然。バリバリの頃は見ていて爽快なピッチングでした。レジェンドと呼ばれる存在は誰もがなれるわけではなく、プロ野球の中でもごく一握りの選手だけ。スターであったことは間違いない。ただ、現役晩年の姿は頑張る姿勢より現役にしがみついていた感が私にはある。去り際も爽快であってほしかった。
通りすがり
松坂の野球人生は前半に集中し、子宝に恵まれたたとはいえ、結婚してからの投手人生は超低空飛行!
誰の人生にも波はあるものだが、本人がいちばん辛かったのではないか?
多少は自暴自棄になり、体調管理もままならずメジャーでは成績を残すことは出来なかったが、今までよく粘ったと思う。
今後はユニフォームは着ずとも、野球会にその経験を活かして欲しい。
名無しさん
松坂投手が高校三年生で私が小学校の頃、AAAというアジア・アメリカ・オーストラリアの試合があって、父が韓国チームの通訳だったので、大会後の全ての選手が集まる食事会にこっそり着いて行った。
松坂投手に写真を撮ってもらいたかったけど、周りは人だかりでまた私が小さかったのもあってモジモジしてたら、松坂投手から声をかけてもらい写真を撮ってもらっただけでなく、サインやバットも貰えた。
松坂投手は忘れてしまい覚えてないと思うけど、大きくなったらグラウンドで一緒に闘おうと言われた。私には才能がなくプロには入れなかったが、今でも良い思い出です。
晩年は故障や手術で大変でしたが、30代から40代の元野球少年達からしたら、貴方は大谷選手以上の大きな存在です!
お疲れ様でした!!!
名無しさん
松坂大輔に憧れて憧れて、大好きだった。
ワインドアップの時の腕の上げ方。
左足を上げた時の足の角度。
投げ終わった後の右足。
いっぱいいっぱい真似しました。
投げるフォームだけは完コピ出来ていた自信があります。
スライダー、あんな曲がる事一度もなかったなぁ。
けど、苦しかった高校野球の練習を乗り切れたのも松坂大輔に憧れて少しでも近づきたかったから。
いっぱい夢を見させてくれてありがとう。
まずは身体を休めて仲間と共に第二の人生も松坂大輔にとって良い人生になる事を願ってます!
ありがとうございました!!!


名無しさん
行方不明報道が出たばかりよなw
引退は常に意識しとったやろけど
(最終決断は)報道が背中を押した形だったかもな。
偉大なピッチャーではあったが
日本に戻ってからの行動はプロフェッショナルとは
とても言えなかったと思う。
名無しさん
平成の怪物!松坂大輔!本間にお疲れ様でした。現役最後を西武ライオンズで投げるのを期待してましたが勇姿を見たかったなぁ…残念…。けれども間違いなく日米野球界に残した功績は計り知れないですね。本当にお疲れさんでした!貴方を目指して沢山の野球小僧達が夢を現実にし今、プロ野球界や野球社会で活躍する人間が居るのは間違いない。次は指導者で活躍される事を期待せずにいられません。
名無しさん
高校の甲子園から、スター街道を進んで、大リーグへ。
WBCの活躍は、凄かった。
しかし、ソフトバンク・中日・西武と渡り歩いたが、潔い最期ではなかった。
私が観ても、日本球界では、役に立たない投手になっていた。復帰する前に、潔く引退をしてほしかった。
これも松坂の野球道なので、お疲れ様。次は、指導者として、貢献してほしい。
名無しさん
松坂選手と同級生です。
もちろんお会いした事は一度もないですが…
いつも自己紹介の時には、松坂世代ですって言ってました。
何万人もいる同級生を背負って自分の名前が〇〇世代って呼ばれる事ってすごい事だと思います。
お疲れ様でした。
願わくば最後に、難しい事だと思いますが、マウンドに立つ姿を見せて欲しいです。
それはきっと「松坂世代」に勇気を与えてくれると思います。
松坂選手ありがとう。
Deha
もう15年近く前に他界した母と、亡くなる数日前に当時レッドソックスで投げていた松坂選手の試合を、病床で一緒にテレビ観戦していました。松坂世代の私も、母も甲子園の頃から応援していました。母にとっては最後の野球観戦でしたが、見事松坂選手は勝利投手になりました。病で痩せ細った母が「良かったね」とだけ言って「うん」とだけ答えて病院をあとにしたのが、最後の会話だったと思います。
松坂選手、長い間お疲れ様でした。
名無しさん
2021年、1位大阪近鉄•2位西武。ゲーム差は確か1・5。当時の大阪ドームでの松阪大輔VS中村紀洋…松阪の投げた渾身のストレートを中村がフルスイングでライトスタンドへ運んだ対決!今でも思い出します。メジャ⇒中日⇒埼玉西武へ。試合で松阪さんの投げる試合を観て、野球って本当に素晴らしいと感じます。もし出来るのなら今期ホーム最終戦で、1球でも投げて欲しいです。
松阪さん、本当にお疲れ様でした。そして右腕をご自愛下さい。ありがとうございました。


ykhd
まずは本当にご苦労様。
横浜高時代から本当に凄かった。
伝説となった準々決勝のPLとの熱戦。
決勝のノーヒットノーランは誰もが認める凄さ
だけど、自分が一番印象的なのは準決勝の明徳戦だよ。PL戦の疲れで先発を避け、6点ビハインドで終盤、まるで大逆転を予想してたようにベンチから「大丈夫!行ける!」と声をかけて。そしていよいよ最終回にベンチを出て腕に巻いたテーピングを外し出したシーン。
あれで明徳ベンチに一気に緊張が走り、
松坂がマウンドに上がり明徳の猛攻を抑え込んで9回裏にピッチャーが崩れ、6点差から土壇場の奇跡の大逆転劇を呼び込んだ。
あの時の松坂の存在感に鳥肌がたった。
あの姿こそが自分の中ではまさに「怪物」だった。
松坂大輔さん、沢山の感動をありがとう!
名無しさん
頸椎内視鏡手術は、トミージョンなどとは全く違うもので、術後症状の改善が無い場合、中枢神経にダメージが有ると推測されますので、もう一生なおりません、症状から察しておそらく手の動作障害も伴って日常生活にも支障が有るはずで、復帰は不可能で引退しかないと考えます、今まで相当躰を酷使してきた代償であることは間違いありません。
私も現在頸椎のケガで右半身、痺れと運動障害がありますが、なかなか趣味のトライアスロンを諦めきれず、もがきましたが結局だめでした
ファンに沢山の夢や歓喜を味合わせていただいた事に感謝します
名無しさん
第一に、お疲れさま、と言いたい。
メジャーリーグに言ってから故障に苦しんだ、というのは、その通りの指摘だと思う。
松坂投手、田中投手など、日本で大活躍した投手が、メジャー一年目から活躍するのは嬉しい。しかし、それと同時に数年で故障してしまう事が多いのも事実だと思う。
その原因として、体への過負荷もあると思うが、それと同時に、星野仙一さんが指摘したように変化球の多投。さらには、体の変化がある。
イチロー選手は、パワーをつけるために3キロ増量さしただけで、身体動かなくなった、コメントしていた。
専門家ではないが、日本にいた頃と体型が、変わり、ピッチングの仕方が変わるのではないかと思う。慣れない海外生活のストレス、食事など、日本のプロ野球が長く海外で活躍するためには、クレバーさと節制する感覚が必要だと思う。それには専門のフィジカルスタッフのチームが必要なんだろう。
名無しさん
高卒一年目からシーズン、オールスター、五輪予選とフル回転
それも当時は毎年ダイエーや近鉄と優勝争いしていた印象があります
そんな昭和の大エースのような事を18歳から、いや松坂で言えば高校時代から毎年のように続けてきていたツケが30くらいで来てしまいましたね
周りが言うように多少は舐めてしまっていた所もあるようですが、現代のように健康面や技術面が発達していた環境で、松坂大輔という至宝を見てみたかったとも思ってしまうほど至高の才能でした
もしくはダルビッシュのように最新の理論や考え方を身をもって教えてくれる先輩がいる環境でも見てみたかったですね
名無しさん
選手にこだわったことが良かったか、それは本人が決めることだけど、ホークスの4年間がなければ、またはホークスからのコーチとしての依頼を受けていれば、全く違った人生を歩んだのだろうと思う。素人で赤の他人の単なるファンであるおれはもちろん、たくさんのファンからの印象を悪くし株を下げてしまったと思う。
だけどどこかで松坂大輔の活躍が見たいという気持ちもありました。高校からプロ野球、そしてメジャーと第一線の活躍をしてきたあの勇姿がまた見たいと期待していた。ドラゴンズで初勝利を上げた日から毎試合が楽しみでした。今はたまにですが光輝いていたころの試合をYouTubeで見ます。今見ても興奮します。
これからは別の方法で日本を勇気づけてくれたらと思います。
名無しさん
選手生命における晩節を汚してしまったかな、とちょっと思ってしまう。
高校野球のヒーロー、西武時代と侍ジャパンでの圧倒的ピッチング、メジャーでの活躍
本当に素晴らしかったし、功績は多大なものがある。
だからこそ、契約してくれる球団があったとはいえ、何年も前から衰えは端からみていても隠せなかったから、もう少し早い決断ができなかったのか、自ら契約を解除するような男気をみせなれなかったのかな、と感じてしまう。
でも、功績自体が色褪せるわけではない。
得とくしたノウハウを次世代に継承してほしい。




管理人の率直な感想

23年間お疲れ様でした。
本当に素晴らしい活躍で、正真正銘の怪物でした。
今後どのような形で野球に携わるか楽しみですね。



コメント