巨人がMLBのナショナルズからヘラルド・パーラ、阪神がエンゼルスからジャスティン・ボーアを助っ人として獲得。両者ともにメジャー・リーグで実績を残しているバリバリのメジャー・リーガーだが、過去にはさらなる「大物メジャー・リーガー」たちが来日している。
元メジャーリーガーの日本移籍 過去にはこんな大物も来日!
例えば、近年では2013年に楽天が獲得したアンドリュー・ジョーンズ。MLB時代は10年連続でゴールド・グラブ賞に輝き、40本塁打、100打点を2年連続で達成するなど、申し分のない実績の大物だった。今回は、こうしたNPBにやってきた「大物メジャー・リーガー」たちを紹介する。
レジー・スミス(巨人:1983~1984年)
1982年オフに巨人が獲得したレジー・スミスは、スイッチヒッターとしてレッドソックスやカージナルス、ドジャースなどで活躍。オールスターゲームには7度出場、ワールドシ・リーズには4度出場してそのうち世界一にも1度輝いたスタープレーヤーだった。巨人加入はキャリア晩年だったが、1年目は打率.285、28本塁打、72打点と活躍。翌年は故障のため欠場が増えたが、それでも17本塁打と結果を残した。
トニー・フェルナンデス(西武:2000年)
2000年に西武の助っ人として来日したトニー・フェルナンデスは、4年連続でゴールド・グラブ賞に選ばれた守備の名手。また、MLB通算2276安打とシュアなバッティングでもチームに貢献し、オールスターゲームにも5度選出されている。西武では103試合に出場し、打率.327も1年で退団となったが、真摯に野球に取り組む姿勢や心構えはチームに大きな影響を与えた。
ビル・マドロック(ロッテ:1988年)
1988年にロッテに入団したマドロックは、メジャーで4度の首位打者に輝いた屈指のアベレージヒッター。1975年のオールスターではMVPにも選ばれている。マドロック以降もさまざまな好打者が来日したが、首位打者を4度も獲得したスターが助っ人としてやってきたのはこの一例のみ。それほどの大物の獲得だった。しかし、キャリア晩年での加入だったこともあり期待されたような活躍はできず1年で退団した。
ドン・ニューカム(中日:1962年)
1962年に中日に入団したドン・ニューカムは、メジャー初の「黒人投手」として新人王やリーグMVPを獲得。また、1956年に創設されたサイ・ヤング賞を「初めて受賞した選手」でもある。1960年シーズンに所属していたインディアンスから解雇され、2年後の1962年に「外野手」として中日に入団。81試合に出場して1年で退団したが、日本に来たことが間違いなのではと思うほどの大物だった。
ラリー・ドビー(中日:1962年)
上のドン・ニューカムを超える大物が、同じく1962年に中日に入団したラリー・ドビーだ。史上2人目の黒人メジャー・リーガー(ア・リーグでは初の黒人選手)で、最多本塁打2度、最多打点を1度記録。1959年に現役を引退したが、1962年に中日に入団し1年間だけプレーした。1994年にはインディアンス時代にドビーが背負っていた14番が永久欠番になり、1998年にはアメリカ野球殿堂入り。大物中の大物選手だった。
リッチ・ゴセージ(ダイエー:1990年)
1990年にダイエーにやってきたリッチ・ゴセージも、後にアメリカ野球殿堂入りを果たした大物助っ人だ。ホワイトソックスでプレーしていた1975年にクローザーに定着すると、以降はヤンキースでも活躍し、数々のタイトルを獲得。1994年に引退するまでに通算310セーブを記録し、2008年に野球殿堂入りとなった。そんな大物だが、ダイエーでは8セーブしかできず1年で解雇されている。
ケビン・ミッチェル(ダイエー:1995年)
実績だけでなくお騒がせ度も超大物だったのが、1995年にダイエーが獲得したケビン・ミッチェルだ。メジャーでは1989年に47本塁打、125打点で2冠に輝き、リーグMVPに選出。翌年も35本塁打、93打点と活躍し、2年連続でオールスターにも出場した。その実績を買ったダイエーが推定年俸4億円で助っ人として獲得するが、無断帰国など問題が相次ぎ、シーズン半ばの8月に解雇となってしまった。
巨人に加入するパーラや、阪神が獲得したボアは今回紹介した選手のような実績は残していないが、実績があるからといって活躍するかどうかはまた別の話。もしかすると、日本の水が合って、NPB史に残るような活躍をする可能性も考えられる。2人がどのようなプレーを見せるのか、キャンプインを心待ちにしたい。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191213-00000004-baseballo-base
ネットの声
ストにより中断したシーズンである1994年に、打率.319、HR20、打点98。ストが無ければ、3割、30本塁打、130打点に到達したかもしれない成績を残して、シルバースラッガー賞を獲得。MVP投票では8位だった。前年にMLBで何かしらのタイトル、賞を獲得した選手に来日は、フランコ以外にはいなかったのではないかなあ。
ストが無ければ、当時のロッテの監督がバレンタインでなかったら、日本にはまず来なかったレベルの選手だった。
シーズンの始めは、一体何本ホームラン打つんだろうと思いました。
当時は衝撃的でしたね。
これがどちらかというとネタ記事で、活躍しなかった選手やトラブルメーカーを優先した感じでノミネートされなかったようだが
2年とも3割20本打ったので優等生と言ってもいい選手だったんだけどねえ
むしろその成績が割と地味目だったので目だたない感じか(笑)
同時期のブライアントの方がインパクトはかなり強かったのもあるかな
普通に試合に出ていれば、かなりの成績を残したと思う。
マックとか、元ソフトバンクのバティスタとか、それなりの成績だったが、度肝をぬかれり感じではなかった。
実績だけならウィリー・デービスが凄い
安打2561二塁打395三塁打138本塁打182
注目すべきは三塁打、日本記録は福本豊の115本、
日米通算でも144本と119本のイチローよりも多い。
バッティングフォームがおもしろかったですし、2年しかいませんでしたが、地味に2年連続で規定打席到達で3割打ちました。
当時強肩で鳴らした広島のライトルを7とすれば、スミスの肩は10以上だったとか
全盛期に見てみたかった……
入団テストを受けたんだけど不合格で帰国。
しかし、シーズン始まると投手陣火の車で田淵監督
あわててゴセージを緊急補強。
しかし、これで一軍からあぶれたアップショーと
同情したバナザードが退団して、一層弱体化。
ゴセージも衰えは隠せず、チームはダントツの最下位。
この年の田淵の「泥縄補強」のひとつ。
ありゃ凄かったよ。
ホーナーは例外でしたが、当時は現役晩年で明らかに衰えが見えていた選手も多かったですからね。
なんと年俸一億!あのドケチ球団がどうしちゃったんだ!
まあ結局死刑の前の豪華な食事みたいなもんだったな
しかしその翌年にも再契約で豪華な食事にありつけたのはうれしかった
もう一人の大物アップショーも加わったが
わざわざ球団買ったんだからこれぐらい当然でしょフン
とすっかり成金気分になっていたw
あのバッティングフォームと、ホームラン打ったときの打球を見やるポーズが、好きでした。
大物メジャーではないけど、マリーンズ時代のエリック・ヒルマンも好きでした。
妹と一緒に京葉線に乗っていたら、妹が「あれ、ヒルマンじゃない?」と気づいたけど、背が高い以外は普通の青年でした。新浦安で降りたので、自分たちは途中駅だったけど後を追って降りて、一緒に写真を撮ってもらいました。
その後移籍して、思うような成績が残せず「肩に小錦が乗っているようだ」の名言(謎言)を残していきましたが、もう自分がパフォーマンスが上がらないのをわかっていて、移籍したんじゃないかなって思いました。
私の中ではヒルマンは忘れられない助っ人です。
規定打席未達でも、3割30本塁打以上打ったのは、衝撃的でしたね。
この選手の影響で、日本人選手も現在のような軽量のバットを使用する事になりましたからね。
まぁ~巨人は実績のある選手を中心に獲得する方針だったからな、!
ジョンソン、ライト、クロマティなど、、
阪神はバリバリのメジャーより、3Aクラスのほうが活躍するから、そちらのほうがいいと思う、グリーンウェルみたいな大物は獲得してもあとがね?
他ではバンプ[阪急]ロンハワード[太平洋クラブライオンズ]ペピートン[ヤクルト]がいまいちで、、
アルトマン[ロッテ]は模範的な選手でした、
最後は阪神でプレーしたのが印象的、、
クラウチングスタイルから、凄いホームランを打ったりもしたけどその後不振と精神的不調をきたし、結局2か月で退団・引退した。
当時、レオン・リーがレスカーノ獲得を聞いて「オウ!彼は2週(1週だったか?)間もたないよ!」って言っていたのを覚えています。
個性的な選手ならインカービリアやディア、グラッデンなんかもいましたね。
年齢的にも全盛期の来日でメジャーの実力を存分に見せたのはホーナーでしょうね。
本業じゃないポジションだったらしいから、守備は・・・、打つのも。
要は、メジャーの肩書より、日本野球に馴染めるかだろうね。
ヤンキースで4番を打ったことがあって、前年もメジャーで150試合以上出てる。
素行が悪すぎて黒歴史になってるけど。
私は左派
高橋直樹の落ちるボールに、あのアッパースイングが食い込む食い込む
あとはベンジャミン・A・オグリビー。帽子の上にヘルメットを被るタイプの選手やったわな。彼の打ち方は小中高生だけやなくおっさんまで真似したんやから。要は激しく前後に揺するだけやったしな。ブライアントが直立不動やったのは有名な話。つまり、日本の相撲界と同じで強いもの活躍したものが偉い、ちゅう階級社会なんやろな。
ここにあげられている選手のような来日の仕方でなくても、日本でレジェンドになっている選手はいっぱいいる。
ストライキの影響とはいえこんなバリバリのメジャーリーガーが来るとは心底驚いた記憶があります
ロッテオリオンズのビル・マドロックが打ちました。
レフトスタンド弾丸ライナーの一発でした。
日本でもヒットの値段は非常に高かった。
5時間以上の熱戦に決着をつける一発。
ホーナー、デシンセイ、パリッシュは
メジャーいや大リーガーだった!
デシンセイの東京ドームホームランは
実況が「大リーガーはつよーい!」だったのも
思い出。
日本に来た時には数字的も体系もバリバリではなかったけど・・・
ボブ・ホーナーとかパリッシュとかも入れて欲しかった。
あの肩は本当に凄かったです。
あと、来日前も有名だったのはガリクソン!
来日後に、メジャーでキャリアハイの20勝したのは見事だった!
【野手】
ディック・スチュアート
ソイロ・ベルサイエス
マティ・アルー
ジョー・ペピトーン
デービー・ジョンソン
ウィリー・デービス
フェリックス・ミヤーン
クリート・ボイヤー
シクスト・レスカーノ
ベン・オグリビー
ジェシー・バーフィールド
ダグ・デシンセイ
マイク・グリーンウェル
ジョニー・レイ
ドウェイン・マーフィー
ロイド・モスビー
トニー・フェルナンデス
グレン・デービス
フリオ・フランコ
エドガルド・アルフォンゾ
ケビン・ユーキリス
アルシデス・エスコバー
【投手】
フロイド・バニスター
ボビー・シグペン
ブラッド・ペニー
黒田博樹
3年ソフトバンクで遊んでて、来年はライオンズ行くみたいだけど取り上げないのか?
不振のシーズン後半のセフティーバントです。
インパクトかなり強かったと思うけど。
管理人の率直な感想
来季はオリックスに移籍したジョーンズにも注目が集まっていますね。
大物以外でも日本で開花した助っ人も沢山います。
日本のトップ選手のメジャー移籍が当たり前になった今、助っ人の需要は増すばかりですね。
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